旧東海道のひとこま 

27.掛川~袋井 (写真をクリックすると拡大されます)


曲がりくねった旧道を歩いていると掛川宿東番所跡の表示 ここから西が掛川宿でした


すぐ隣には七曲がりの表示 ここから東海道は鈎の手に何度も折れる新町七曲がりに入ります これは敵を容易に侵入させないための工夫 城下町ならではの構造です


宿場は現在商店街になっています


こちらは本陣跡 掛川には本陣が二軒ありました


城下町は碁盤の目に整備されています 西に向かって歩きながらふと右手(北)を見ると掛川城が聳えています


もともと掛川城は現在地より北東二百メートルほどの小高い山ににありました 古城跡には嗣子のない掛川城主北条氏重が三代将軍家光の霊を祀り 家の存続を願ったといわれる霊廟「龍華院」が建っています


圓満院のこの門は 掛川城のほとりにあった四脚門を廃城後に移築したものです


やがて掛川宿も終わり大池橋にやってきます この橋を渡ると五叉路になっていて東海道は南に折れますが 北西の道は火防の神として知られた秋葉山へ通じる道でした ちなみに江戸時代の大池橋は土橋だったようです


天竜浜名湖線の下をくぐり南西に進みます


大池の一里塚跡 日本橋から数えて五十九番目の一里塚です


ときおり松並木が現れます 酷暑の中この木陰にどれほど救われたかしれません


旧道らしい風景 このあたりは沢田という町です


垂木川を渡ると東海道沿いには一面の田圃


そして見事な松並木が続きます


松並木の途中に金西寺があります このあたりは原川といい 江戸時代には休憩のための間の宿がありました


原野谷川を渡り国道一号線の袋井バイパスを越えると名栗の立場がありました 立場は茶屋や売店のあった休憩所です


再び松並木 こちらは街道沿いに工場や住宅が建ち並び 先ほどのような田圃の風景は見られませんが それでも松並木があるとほっとします


久津部の一里塚跡 日本橋から数えて六十番目の一里塚です 六十里ということは約二百三十五キロ 道半ばまでもう一息というところまで来ました


小学校の正門に「東海道五十三次 どまん中」とあります 次の袋井は日本橋から数えても京都から数えても二十七番目の宿場でした


油山寺の道標 袋井が近い旧東海道沿いにはこうした道標がところどころに立っています


新屋にある秋葉山の常夜燈は木造です 秋葉信仰が盛んだった江戸時代 旧東海道は秋葉詣での人たちも大勢通ったことからこうした常夜燈が各所に設けられました ここまで来ると袋井宿はもうすぐです
  1. 心に留まった風景

    道明寺天満宮の梅
  2. 寄り道東海道

    三保の松原
  3. 祭祀風景

    狸谷山不動院 火渡り祭
  4. 古社寺風景

    金福寺
  5. 祭祀風景

    五山送り火
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