連載 紀行エッセイ「歩いて旅した東海道」

はじめに

東海道と言っても一つではない。

車なら東名・名神高速道路や国道一号線、鉄道なら東海道新幹線やJR東海道線がそれに相当し、さらに空の便も加わる。

東海道新幹線の東京・大阪間の年間利用者数は、日本の総人口に近いというから驚くべき数だが、それ以外の交通手段も含めれば、それこそ数え切れない人たちが日々東海道を通っていることになる。もちろん私もそのうちの一人だ。

東京に生まれ、四十年近くを東京で過ごしてきた私は、十数年前に結婚し大阪に住むことになった。とはいえ、高齢の父の一人暮らしは難しく、夫の理解に助けられ東京と大阪を移動しながら生活している。東から西へ、西から東へ、東京と大阪を行き来しているうちに、日頃二時間半で走り抜けている全長五百キロの道を、自分の足で歩いてみたいと思うようになっていった。

時速二七〇キロから五キロに減速したら、どんな風景が見えるだろう。かつて宿場町として栄えた町は、いまどうなっているのだろう。人々が暮らし、旅人たちが歩み固めてきた東海道を、歩く速度から見てみたい。そんなことから私の東海道歩きが始まった。

歩いたのは東海道の旧道、いわゆる旧東海道である。これは徳川家康が慶長六年(一六〇一)全国支配のために整備した五街道の一つで、江戸の日本橋を起点とし、五十三の宿場を経て京都三条大橋に至る、およそ四九二キロの道のりだ。

ちなみに、東海道は五十七次でもあった。東海道は京都の一歩手前、大津の先の追分で二つに分かれると、一方は京都へ、もう一方は大阪の高麗橋に向かう。大阪への道は、文禄三年(一五九四)秀吉が伏見城と大坂城を最短距離で結ぶため、淀川沿いに築かせた文禄堤が元になっており、家康の時代に伏見、淀、枚方、守口の四宿が設けられたので五十七次になるが、都と江戸を意識したいがため、私の旅は京都を目指す五十三次とした。

平成二十三年(二〇一〇)に日本橋を出発。最初はおそるおそる、次第に慣れてくるとペースがあがり、毎月一日から三日の旅を続け、およそ一年がかりで京都三条大橋に到着したが、都から東を目指した人たちの気持ちに寄り添いたくなり、到着後すぐにまた京都を発った。さらに東海道の往復と並行して、脇街道である姫街道や佐屋街道、大阪高麗橋に至る五十七次の東海道、伊勢に通じる伊勢街道も歩いたので、取材は約二年、千キロを優に越える旅になった。

最初に正直に申し上げよう。現在の東海道にはがっかりさせられることが多い。排気ガスが充満した国道、立ち並ぶビル群、破壊された遺跡、工場の煙突からはき出される煙…。そうした場面に落胆し耐えながら、ひたすら歩き続ける場面も少なくない。そこに酷暑が加われば、苦痛という他ない旅路にもなる。けれども、いやだからこそと言うべきだろう、延々黙々と歩き続けているうち、私の目は変わっていった。

土地は生き物だ。こちらが心を寄せれば、必ず良いところを見せてくれるようになる。そうなればしめたもので、次第に私はこの街道に魅せられていった。

東海道を歩きながら驚き心を奪われたのは、何よりもこの街道に堆積した歴史の厚みだった。京都と鎌倉の間を往復した源頼朝をはじめとする武将や公家、各地に群雄割拠した戦国武将らの歴史。江戸時代、参勤交代で街道を行き来する大名や、伊勢参りに出かけた庶民らの歴史……。東海道を歩いていくうちに、そうした場面場面が脳裏に再現され、いつしか私はこの街道に壮大な歴史絵巻を重ね見るようになっていった。

各地で語り継がれる神話や伝説の数々も、私の心を捉えた。日本武尊の伝承はその最たるもので、そのほか子供のころからよく知っている浦島太郎やかぐや姫などの伝承もあったが、それらが東海道沿いに伝わる不思議を追い求めていくうち、そうした神話や伝説を語り継いできた土地の人たちの思いにも心打たれ、必ずしも史実とは一致しなくても、それもまた歴史なのだという気持ちを強くした。

東海道が持つ空間的な拡がりにも、目を見張らされた。言うまでもなく東海道は東西を結ぶ街道で、東西それぞれの起点が現在に至るまで日本の政治や経済、文化の中心地であり続けていることから、常に二つの地点の間を人やものが行き来し、街道沿いには双方からの影響が様々な形で及んでいるが、東海道はそればかりか南北各地とも強い結びつきを持つ道である。内陸と海岸沿いを結びつけているのは富士川、大井川、天竜川のような河川と、川沿いに発達した身延道や秋葉街道に代表される川筋の道だが、東海道を新幹線で行き来しているだけのころは、そのことに気づくことすらなかった。

最後にもう一つ。東海道を歩いていくうちに、歩いてきてよかったと思える風景に出会う。懐かしい街道風景や、海、山、川が絶妙に配された自然景観…。それらに魅せられたことは言うまでもない。

この街道を往復歩き終えたとき、歴史の縦軸と空間の横軸を動かしながら、私自身の旅を元に多彩な顔を持つ東海道を描いてみたいという思いに駆られ、いそいそと机に向かった。

ところが、文章によって新たに向き合った東海道の旅は、実際の旅をはるかに上回る困難の連続で、早々に大きな壁に突き当たった。素人が挑むには、東海道に堆積した歴史の層はあまりにも厚く、そこに内在する様々な事象は幅が広すぎて、私のような浅学者の手に負えるものではなかった。

沈んでは浮き、また沈んでは浮きと、何度も東海道という大海で溺れかけたが、それでもなんとかゴールにたどり着こうと私の気持ちを後押しし、支えてくれたのは、やはり東海道自身だったといえる。

地元の人たちとの出会いを通じ聞き知った歴史は、次第にその土地々が自身の存在を訴えかける声にも感じられ、現時点でそれらを書き残すだけでも意味はあるだろうと思えたとき、ようやく大海で呼吸ができるようになり、筆が進んだ。

結果はこの通り、時代も視点も不揃い、つまみ食いのような東海道になった。

東海道とは何か。いま東海道を歩くことにどのような意味があるのか。この旅の終わりにそうした結論を期待されたとしたら、大いに裏切ってしまうことになるだろう。結論めいたものは何もない。私には導き出すことができなかった。

力不足を痛感することしきりで、今後の努力に免じてお許しいただきたいとしか、いまは申し上げることはできないが、この文章による旅が京都三条大橋に到着したとき、東海道に底流する時間の奥行きと空間の拡がりが感じられ、この街道が日本の歴史そのもの、旅そのものであると多少なりとも思っていただけたなら、また東海道歴史絵巻の画中人物の一人となり、時空間を共有していただけたなら、書き手としてこれ以上の喜びはない。

いざ、東海道へ。

 

 

 

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