連載 紀行エッセイ「歩いて旅した東海道」

平塚

遊行寺を出てから二十分ほど。街道沿いに松が現れた。はじめは右に数本。そのうち左にもちらほらと。

細い木が多く、並木と呼ぶには貧弱だが、東海道でこうして道の両側に松が連続しているのを見るのは初めてだ。

松並木はその後一端途切れるが、茅ヶ崎市に入ると、今度は先ほどよりも本格的な松並木になる。右に傾く木あり、大きく幹をねじる木あり、好き勝手に空に向かって伸びている。

松並木が見られるのはまだ当分先だと思っていたので、予想外のこの風景には心躍る。同じ国道一号線でも、松があるのとないのとでは大違い。こういう道なら、いくらでも歩けそうな気がする。

一月のいまでも、快晴の空から降り注ぐ光がアスファルトに反射してまぶしい。松並木は日ざしをほどよく遮ってくれる。盛夏ならどれだけ有り難いか知れない。

しばらく目を楽しませてくれた松並木は茅ヶ崎駅を過ぎたあたりで終わり、また殺風景な国道に戻るが、気持ちは晴れやかだった。

このまま三十分ほど歩けば、「南湖なんごの左富士」として知られる名所に出る。東から西に向かう旅人にとって、富士山は右に見えるものだが、南湖の鳥井戸橋に立つと、道が北を向いているので富士山が左に見える。それが珍しいというので、江戸時代名所になっていた場所だ。

広重も竪絵東海道のシリーズで、「南湖の松原左り不二」と題して描いている。松並木の向こう、東海道の左手に、雪を頂いた富士山が空に映え、松並木の下には茶屋らしき建物も描かれている。実際南湖には規模の大きな立場たてばがあり、茶屋が並んでいたというから、江戸時代の旅人は運が良ければ富士山を眺めながら一息入れることができたのだ。

いまそこに茶店はないが、せめて富士山だけでも見たい。

鳥井戸橋にやってきた私は、期待をこめてゆっくり顔を左に向けると、一直線に延びる川の先に雪を頂いた富士山がくっきりと見える。

「やった!」

思わず手に力が入る。

目を凝らすと、降り積もった雪に浮かび上がる山肌の凹凸まで捉えることができる。工場の金属的なパイプや無機的な建物が山裾を消しているのは残念だが、日本橋を発ってまだ間もない場所で、江戸時代名所だった風景をこうして目にすることができるのだから、少々の欠点は大目に見るべきだろう。

左富士の風景に満足した私は、その光景を脳裡に刻み、また西に歩き出した。

  

鳥井戸橋から半時間ほど歩いたころ、「国史跡 旧相模川橋脚」と書かれた杭に目が留まった。相模川はここからまだ一キロ以上先のはずだ。不思議に思って眺めていると、自転車で通りかかった初老の男性がもっとあっちだと指を指している。

その人が指さす方向に二十メートルほど入っていくと、太さ五、六十センチの杭が、池の中からにょきにょきと生えたように立っているではないか。どうやらこちらが相模川の橋脚で、街道沿いの杭は表示のための単なるデザインとわかったが、よくよく説明を読むとこれらは発見当時の様子を再現したレプリカらしい。本物でないのは残念だが、その歴史がおもしろい。

関東大震災で液状化した田圃から、杭が何本も浮かび上がってきた。調べてみると、鎌倉時代に源頼朝の家来稲毛重成が、亡き妻の供養のために相模川に架けた橋の橋脚の一部と判明したのだという。ちなみに亡き妻は、北条政子の妹にあたる。

建久六年(一一九五)、頼朝の再上洛に随行した稲毛重成は、美濃国で妻の危篤を知り、頼朝から賜った駿馬で急遽家に戻ったという有名な話があるが、この橋脚はその稲毛重成によって造られたものだった。

それにしても、鎌倉時代、相模川に橋が架けられていたとは初耳だ。

現在の相模川はここから数キロ西で相模湾に注いでいるが、当時の相模川は橋脚がこの場所から出土したようにずっと東寄りで、しかもかなり蛇行を繰り返していた。そういう川に、北東から南西に向かって四十メートル以上にもなる橋が架かっていたというのだ。

具体的な橋の様子は想像するしかないが、当時の橋梁技術はかなり高かったと見られる。恐らく立派な木橋だったのだろう。妻の供養のためとはいえ、稲毛重成がそれほどの橋を架けたのかという気もするが、頼朝が落成式に参列したことが事実なら、幕府をあげての工事だった可能性もある。

ちなみに頼朝の死因は様々に言われているが、その一つに落馬説がある。建久九年(一一九八)この橋の落成式に参列した帰り道に落馬し、それが元で翌年亡くなったということが『吾妻鏡』にも記されている。

落馬した場所は、現在の辻堂付近という説あり、相模川下流という説ありで、場所だけでなく落馬自体も実際のところどうだったのかよくわからないが、相模川の下流が馬入川と呼ばれるのはそれに由来している。馬が驚いて川に飛び込んだのは、平家の亡霊に驚いたためだとか、亡霊を見たのは頼朝のほうだとか、落馬の原因についても様々な話が伝わっている。

橋は彼岸と此岸を繋ぐもの。異界との架け橋という当時の橋のイメージが生んだ話かもしれないが、中世の相模川に橋が架かっていたことが確かだとすると、ここでの頼朝の落馬もあり得ないことではない。

鎌倉に近いこのあたりらしい歴史の断片である。

 

国道一号線に戻り、三十分ほど単調な道を歩くと、ようやく現在の相模川に出る。そこでまた、大きな富士山を捉えた。

馬入橋の先に見える富士山は、先ほど鳥井戸橋から見たものより一回り大きく、迫力も増している。真っ青な空に、白い富士山。典型的だが、申し分のない風景だ。橋から川を見下ろすと、相模川もこれ以上ないくらい深い青を湛えている。

これまで何度も電車で相模川を越えているのに、この川がこんなに青いことにも、川越しに富士山がこんなにもくっきりと見えることにも、まるで気づいていなかった。南湖の左富士もいいが、この日の風景なら私はこちらに軍配を上げたい。

ときおり吹く風が、上着の中に滑り込む。その風を受けながら、目の前の富士山に引き寄せられるように馬入橋を進んだ。

平塚駅前の交差点を過ぎると、平塚宿に入る。平塚という地名の由来は、平安時代に遡ると言われる。桓武天皇の曾孫で桓武平氏の祖となった高望王に従い、東国に下った平真砂子が、旅の途中で没し当地に埋葬された。後にその塚が平らになったので、平塚という地名が生まれたというから、歴史は古い。

平安時代、このあたりの官道は、海沿いの道ではなく、足柄路と呼ばれる山沿いの道だったが、延暦年間の富士山噴火で足柄路が不通になったことから、例外的に海沿いの道を通ったようだ。

当時中央では藤原氏による摂関政治が行われ、出世の望みがなくなった貴族らは地方に下っていった。平真砂子の話の真偽のほどはわからないが、もし真実なら、東国行きはそうした流れの一つだったかもしれない。

江戸時代の平塚宿は、江戸方見付に立つと一キロ先の上方見付まで一直線に見渡せる、小さな宿場だった。いまもその距離に変わりはないが、駅前の商店街が大きく賑やかなせいで、大きな宿場だったような錯覚を抱く。

西に目をやると、直線道の先に丸く小ぶりな山が見える。大磯のシンボル、高麗こま山だ。とすると、大磯はもうすぐそこに迫っている。

賑やかな商店街を過ぎ急にがらんとなった国道を足早に西に進むと、本陣や脇本陣跡の表示が歩道脇に立っている。その説明表示に目をやりながら、宿場時代の平塚を想像してみた。

江戸時代の平塚には、中原御林と呼ばれる人工の松林があった。宿場の北に多かったが、相模川を渡ったあたりにも東海道を挟むようにあったという。東京の代々木公園の二倍近くに及んだというから、平塚宿はさながら松林の中の宿場だったのかもしれない。

松林は海岸近くにもあった。現代のように建物のない江戸時代なら、松林の向こうから波音が聞こえたかもしれないし、風の強い日には松の葉音が波音をかき消すように、さわさわと伝わってきたかもしれない。

そんな松の音を聞きながら、せわしく立ち回る旅籠屋の女将。次の大磯までの距離が三キロに満たないことから、平塚を通過してしまう旅人が多かった。そこで高麗山を指さし、「次の大磯には、あの山を越えないと行けませんよ」と嘘をついて客を引き留めることがあったとか、なかったとか……。

上方見付まで来ると、小さな高麗山の迫力に圧倒される。富士山はもちろん魅力的だが、近くの高麗山もまたよい。

 

*写真ページ「旧東海道のひとこま」も更新しましたので、合わせてご覧くださいませ。

 

 

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