連載 紀行エッセイ「歩いて旅した東海道」

三島

昨晩は早々に眠りについたせいで、目覚めは早かった。今日も長丁場、出発は少しでも早いほうがよい。

昨日旅を終えた元箱根を目指し、薄明の湖畔を歩く。朝露で湿った木の葉道、木陰から湖がときおり顔をのぞかせる。気がつけば朝日が昇り、湖畔に光の帯を描いている。

静まりかえった元箱根を過ぎると、視界から湖が消え、木立に囲われた薄暗い道になる。目の前に立ち現れたのは巨大な杉の群れ。東海道というと松並木がほとんどだが、ここ箱根は杉並木。台地に突き刺さり、天空を射貫く、圧巻の並木である。

箱根のこの杉並木は、元和四年(一六一八)幕命によって川越城主・松平正綱によって植えられたと伝えられる。並木道はおそよ五百メートル。その間に四百本近くの杉が残っている。

迫力に圧倒され、半分まだ眠りの中にあった体が完全にたたき起こされた。手で触れると、朝靄で湿った木肌がひんやりとして心地よい。

    

峠を越えると、東海道の風景が一変する。

深山幽谷の趣で坂もきつかった東坂の記憶が鮮明なまま西坂を歩き出したが、こちらの勾配は拍子抜けするほどなだらか。石畳も凹凸が少なく歩きやすい。西坂では、高木に代わり箱根竹が目に付く。ときに葉がアーチのように道に覆い被さっているが、隙間から朝日が差しこみ、道は明るい。

「三島に行くにはこっちですか」

しばらく歩いていると、二人連れの男性に声を掛けられた。一人は五十代半ば、もう一人は十代後半といった年頃の父子で、前日東坂を歩き、今日は西坂を下りて三島まで行くのだという。

「私も三島を目指してるんですよ」

「それは心強い」

西坂は歩きやすいとはいえ、東坂に比べて情報が少なく不安だったので、心強いのはこちらの方だ。お互い目的地は同じということで、一緒に歩くことになった。日本橋を発って以来、初めての道連れだ。

長野で農業をしているというAさんは、農閑期に少しずつ東海道を歩いているそうで、その日は珍しく大学生の息子S君が一緒に来てくれたと嬉しそうに話す。私が一人で歩いていることにAさんは最初驚いていたが、

「女性一人で通しで歩いた人がいますから、私なんて」と言うと

「へえ。そんな人がいるんですか」と感心している。

「私も昔の旅人みたいに通しで歩いてみようかと思ったんですけど、普段の生活があるので、二週間以上旅を続けるのは無理なんです。それに体力的に持つかどうか」

「まったくですね。私はこうやって農閑期に数日歩ければいいんです。それにしても、昔の人の体力には驚きますね。阿仏尼なんて、一日で三島から小田原まで歩いてるでしょう」

そんな話をしながら、後北条氏の山中城跡や芭蕉の句碑がある富士見平に立ち寄り、笹原新田に入っていった。

冬らしからぬ明るく強い日ざしが、石畳に反射して目にしみる。そんな好天でも富士山は気まぐれで、山中城跡ではかすかにその姿を捉えたものの、富士見平では完全に雲の中だ。脇道を見つけ、ちょっと行ってみましょうかと三人で入っていくと、霞んではいるが眼下にかなり大きな町が見渡せる。

「もしかして三島でしょうか」

「そのようですね。もうここから見えるんですね」

西坂はまだ半分近く残っているが、早くも視界に入ってきた三島に心が引き寄せられていく。

「お母さんと妹が三島で待ってるんです」

「三島で落ち合って家族旅行なんですよ。家族揃って旅行なんて、この時期だけしかできませんからね」

「それじゃ、あともうひと頑張り。行きましょうか」

私たちは尾根筋の明るい道を軽快に進み、三ツ谷新田、市の山新田と新田と名のつく集落を通り、三島の中心部へと入っていった。

   

三嶋大社の鳥居が見えてきたのは、午後三時を回ったころだった。お詣りまでは一緒にということで、私たちは揃って白い石の鳥居をくぐった。

三嶋大社は伊豆国一の宮。創建は古く、中世には源頼朝をはじめ数々の武将らが篤い信仰を寄せている。静かな境内を想像していたら、参道にはお詣りに向かう人、終えて帰る人が行き交い、屋台も出ている。太い注連縄が張られた総門をくぐってもその賑やかさは続いていたが、奥の神門を過ぎてようやく、砂利を踏む足音と柏手だけが響く静かな神域に変わった。

拝殿や本殿は嘉永七年(一八五四)の地震で倒壊、その後再建されたものだが、金の装飾が施された緑色の屋根が遠目にもよく映え、武将らの信仰を集めた大社に相応しい堂々としたたたずまいだ。

参拝の順番を待っていると、横でふとAさんが

「ここの神さまは三宅島が発祥みたいなんですよね」

と気になることをつぶやいた。

先ほど御由緒に目を通したとき、御祭神は事代主神と大山祇命おおやまつみのみことの二柱とあった。事代主神は大国主の子供で、出雲国譲りの際に、大国主に代わって国譲りの言葉を述べたことから託宣の神とされている。大山祇命は伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみことの子供、山の神として知られている。

「事代主神と大山祇命が三宅島から来られたということですか?」

「いやそうではなくて、三嶋大社でもともとお祀りされていたのは大山祇命で、事代主神は明治になってから急に御祭神に加わったみたいです。そのとき一時的に大山祇命は御祭神からはずされてしまったというから、明治のごたごたで神さまもとんだ災難ですね。昔は伊豆七島のあたりが三嶋という地名で、いま三島になっているここは別の地名だったらしいです」

「ということは、三島の起源は伊豆の島々にあり、ということですか」

Aさんはそうだとばかりに、にこりと微笑んだ。

大山祇命は山の神として知られるが、別名である和多志大神わたしおおかみの「わた」が海神を意味するように、海の神としての要素もある。古代の人は、伊豆の島々や伊豆半島の山を目印に航海していた。伊豆諸島で信仰されていた大山祇命が、いつしか三島に遷されたというのは、それを信仰する人々の行動範囲が移っていった結果なのだろう。箱根峠を越えたばかりで、山の記憶がまだ鮮明に刻まれているが、三島はむしろ海との縁のほうが深い。

参拝の順番が回ってきた。三人で同時に参拝を済ませると、「よい旅を」と挨拶を交わし、別々の方向に歩き出した。

 

三嶋大社を出た私は、行けるところまで行ってみようと思い、また西に一歩を踏み出した。洋品店に履物屋、時計屋といったどこか懐かしい感じの店が、整備された新しい道に並んでいる。右を見ると、建物の間を幅一メートルにも満たない小川がさらさらと音を立てて流れている。町中にこういう水の流れがあると、気持ちが和む。

水音につられ、足取りも軽やかに歩いていると、すぐ先に四ノ宮川、そのまた先に源兵衛川と、わずか数百メートルの間にいくつもの清流がある。聞けばみな富士山の伏流水による湧き水で、四ノ宮川と源兵衛川は楽寿園という庭園内にある池が水源だが、あいにくいまは干上がってしまっているという。工場建設による地下水くみ上げが原因とも言われるが、詳しいことはわからないらしい。

三島が水の町であることは、町内のあちらこちらを流れる清流からよくわかるが、せっかくなので水が湧くところを見てみたい。

「それなら柿田川ですよ。ここをまっすぐ行くと国道に出るから、そこを左ね。柿田川公園って大きな看板が出てるから、すぐにわかりますよ」

源兵衛橋のベンチで休んでいた初老の女性にそう教えられ、柿田川を目指した。

そこは公園というより森林のようで、足を踏み入れたとたん、湿り気を帯びたひんやりとした空気が肌にまとわりつく。表示に従い湧水地に急ぐと、鏡面のような水面が拡がっていた。周囲の木々が精緻に映り込み、映し出された枝葉の間から、中に何か生き物でもいるかのようにあちらこちらで底の砂が盛り上がり、水が湧き出している。

「あっちにもあるよ」

と子供が親に話しかける声がする。

その声につられ、もう一つの方に行ってみる。水中に丸い筒状のものが埋め込まれ、そこから休みなく水が湧き出している。皆、展望台から身を乗り出し、言葉を失ったように水を見つめている。

富士山に降った雨や雪は、およそ一万年前に起きた富士山噴火による溶岩流の層にため込まれ、十年から二十年をかけて山裾の地表に湧き出してくる。静岡県や山梨県にはそういう場所がいくつもあるが、柿田川はその中でもっとも規模が大きく、一日百万トン近い水が湧くという。

それほど富士山という山は大きい。これだけの水をため込む地層の力にも感じ入る。

公園が整備されたのは最近だが、水は太古の昔から湧いていた。付近で出土した土器からは、縄文時代この水辺で人が暮らしていた形跡がうかがえる。戦国時代には、湧水の侵食によってできた洞を利用した城が築かれている。家康もそこに隠居所を造ろうとしたが、急死によって完成には至らなかった。東海道の旅人の中には、この湧き水を目にした人もいただろう。

清らかな三島の水に全身が清められ、箱根越えの疲れもいつしか吹き飛んでいた。

 

*写真ページ「旧東海道のひとこま」も更新しましたので、合わせてご覧くださいませ。

 

 

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