田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける
万葉集巻三 三一八
奈良時代、山部赤人は富士山をこう詠んだ。
現在の田子の浦は吉原駅の南一帯をいうが、当時の田子の浦はかなり広い範囲を指していたようだ。私はいま、その田子の浦付近を歩いている。当時とは海岸線の位置が異なるので、赤人の時代、現在東海道が通っているところは海の中だっただろう。
空は見事に晴れ渡っている。原では富士山を見損なったが、この空なら期待できそうと足取りも軽く歩いていると、目の前に現れたのは富士山ではなく、天高く聳える紅白横縞模様の煙突だった。
新幹線の車窓から目にする煙突は一瞬で視界から消えるが、時速五キロの徒歩の旅ではそうはいかず、東海道は煙突の風景に潜り込んでいく。しかも臭気が鼻をつく。製紙業は富士市を支える主要産業、私たちの暮らしも大いにそれに助けられている。十分それを承知しているが、東海道の景色を楽しみに歩いている旅人にとって、煙突と煙ばかりの空は耐え難く、無意識のうち逃げるように小走りになっている。
吉原にも左富士の見える場所がある。早くそこまで行ってしまおうと吉原駅の北側にやってくると、ようやく視界から工場の煙突が消え、人心地ついたが、結局楽しみにしていた左富士は、製紙工場にかなり視界を奪われ、かろうじて白い山頂が見える程度だった。
左富士を過ぎるとやがて街道は西に向きを変え、かつての吉原宿に入っていく。
吉原は津波被害で二度も宿場の移転を余儀なくされている。ようやく落ち着いたその場所は現在アーケードの商店街になっているが、あいにくなことに半分以上シャッターが下りている。それでも何か宿場時代の名残はないだろうかときょろきょろしながら歩いていると、商店街の一角に「次郎長鉄舟の定宿」「創業三百年鯛屋與三郎」と看板を掲げた旅館を見つけた。アーケードに連なる店の一つで建物は新しいが、そう書いてあるからには江戸時代旅籠だったのだろうか。
引き戸を開け「ごめんください」と声をかけてみる。しばらく待っても応答がないが、見回すと壁には旅籠時代の宿札や古い看板、隅には鯛屋と書かれた木製の金庫など、懐かしい品々が。
いったん外に出ると、隣には同じ鯛屋という蕎麦屋。旅館と関係があるのだろうか。暖簾をくぐったところ、ようやく「いらっしゃいませ」の声に迎えられた。
やはりそこは旅館の主人が始めた店で、現在十八代目という。
「たったいま旅館をのぞいてみたんでけど、どなたもいらっしゃらなくて。でも宿札を見せてもらいました」
注文をとりにきた女性に断ると
「そうでしたか。それは失礼しました。江戸時代にはこのあたりに百軒近い旅籠があったんですけど、いまはここだけなんです。山岡鉄舟のお気に入りだったんですよ。清水の次郎長もね。『鯛屋與三郎』の看板があったでしょう、あれは鉄舟の字です」
とのこと。
山岡鉄舟といえば、江戸城無血開城の陰の立役者だ。官軍の総大将だった西郷隆盛と和戦の条件を話し合うため、幕府側の立てた使者が鉄舟で、駿府(静岡)の伝馬町で西郷隆盛と面会、勝海舟の手紙を渡し江戸城無血開場の基本合意を取り付けた。勝海舟と西郷隆盛による正式な会談はその数日後のこと。維新後鉄舟は駿府に下り、駿府藩の幹事役を務めたが、その際次郎長の協力を得て開墾や架橋の事業を進めた。
彼らが吉原のこの鯛屋に泊まったのは、そのころだろうか。
蕎麦を食べ終えたら、急に寄り道がしたくなった。
絶好の日和なのに、まだ納得のいく富士山に出会えていない。近くに岳南鉄道の駅があるので、この際電車に乗って足を延ばしてみてもいいかもしれない。
どのあたりにしようと地図を眺めていると、ここから電車で三駅目の比奈駅近くに竹取塚(竹採公園)とある。
竹取塚というからには、竹取物語と何か関係があるのだろうか。だが竹取物語の舞台として知られるのは、確か京田辺や奈良の広陵町だったはず。
支払いがてら聞いてみると、
「比奈の竹取塚は、かぐや姫が生まれた場所ですよ」
とのこと。
初めて聞く話だが、浦島太郎の話が丹後以外の各地にも伝わるように、かぐや姫の話が比奈に伝わっていても不思議ではない。現在地より北に位置する比奈まで行けば、富士山もいま以上に間近に見えるだろう。
寄り道の行き先は決まった。
岳南鉄道は吉原駅が始発のローカル線だ。電車が進むにつれ、車窓から時おり見える富士山は、ぐんぐんとその大きさを増していく。数分で比奈に到着。駅前の製紙工場を抜けると、すぐに急坂が始まる。一歩、二歩と、山登りさながらのペースで坂を上っていくと、ほどなく富士山がその全容を現した。民家に山裾を隠されてはいるものの、風景を邪魔する煙突はなく、富士山は青空を背にゆったりと聳えている。富士山は二十キロ以上だが、坂がこのまま富士山に通じているかと思うほど、間近に迫って見える。
富士見坂とでも呼びたいこの坂、実際は御崎坂という。古代、このあたりは海に突き出した岬で、地名も御崎といった。御崎には古墳時代農耕集落があり、坂の上には古墳も築かれていたらしい。海に突き出した岬に人々が上陸し、暮らしを営んだ形跡に、これから訪ねようとしているかぐや姫の伝承地が重なっていることになる。
竹取塚の公園は、坂を越えた先の高台にあった。もとは広大な竹林だったのだろう。公園はその一部を整備して造られたようで、まだ出来て間もないように見える。公園入り口に、白隠塔と刻まれた大きな石碑が立つ。元禄年間に遺跡から出てきた祠を譲り受けた僧が、ここに無量庵を建て、それを後に白隠が中興し無量寿禅寺としたらしい。
古い暮らしの跡が、やがて聖地になる。その一つの例がここにある。
薄日の差しこむ竹道を進むと、溶岩石のごつごつした岩の上に苔むした丸い石が置かれ、目を凝らすと竹採姫と刻まれている。どうやらこれが竹取塚らしい。比奈では、かぐや姫はここで生まれ育ち、最後富士山に帰っていったと語り継がれているわけだが、そもそもかぐや姫の話とは何だろうか。
日本最古の物語と言われながら作者は不詳、書かれたのは平安時代のようだが詳しい年代はわからない。次々に現れる求婚者に無理難題を言い、結局すべての求婚を拒んでしまう求婚難題説話や、かぐや姫が月に帰っていく昇天説話、不老不死の思想など多様な要素が含まれているこの物語を、一言で言い表すのはそれこそ無理難題で、作者の巧みな筆には感じ入るが、そこに盛り込まれた多様な要素の中から、こんなことを思う。
月であれ富士山であれ、天高いところに帰ってしまったというのは、かぐや姫と求婚者たちの間に何らかの大きな溝があったということだろう。住む世界が異なっていたと言ってもいい。ではかぐや姫はどういう世界に暮らしていたのか。かぐや姫は竹の中から生まれていることから、竹に関係することは間違いない。竹が光りそこにかぐや姫がいたというのは、かぐや姫は竹の持つ霊力の化身、つまり竹に関係する人の象徴だったのではないだろうか。
竹は元来日本に自生していたものではなく、南方から南九州にもたらされたと言われる。その竹と共にやってきたのが隼人で、彼らは南九州にたどり着き土着民となった。やがてヤマト政権が勢力を拡げていく中で隼人は最後まで抵抗するが、最終的には取り込まれ、畿内へと連れて来られた。竹が畿内に伝わったのは、そのときのようだ。
勇猛で呪術力に長けていた隼人は、宮門の警備や竹笠の製作に従事させられたが、生活は貧しく当時の社会の中で虐げられていた。物語の中で、かぐや姫が高貴な身分の人たちの求婚をことごとく跳ね返すのは、そうした社会への痛烈な批判に思える。
他方でこんな推測もしたくなる。
『古事記』の垂仁天皇記に、「また大筒木垂根王の女、迦具夜比売女に娶ひて、生ませる御子・・・」とあるように、迦具夜比売女は垂仁天皇の后になった人物として記されていることを思うと、古代貴族の求婚譚として描かれているかぐや姫の話の古層には、四世紀中頃に大和盆地で成立したヤマト政権内で伝承されてきた神話が眠っているのではないだろうか…と。
迦具夜比売女の父とされている大筒木垂根王は、その名からもうかがえるように、山代国の綴喜郡を拠点としていた。現在かぐや姫の伝承地として知られる京田辺が、まさにその綴喜郡で、ここは古代竹の産地として知られていた。古層に王権神話を秘めた話を、綴喜に居住していた隼人が広めた。それがかぐや姫の話の源ではないだろうか…。
そんなことを思い巡らせながら園内を一周し、休憩所に腰を下ろすと、壁に貼られた紙に目が留まった。それは平安時代の比奈周辺の地名を書いた地図で、それを見ると周辺にはかぐや姫に関係する地名がいくつもあったことがわかる。
たとえば竹取塚のあたりは、平安時代籠畑と言った。まさに、おじいさんが籠を背負って竹藪に入っていった場面が思い浮かぶ。その北西には、その名もずばり赫夜姫というところもあった。また北東には、見返や天上という地名も見える。説明によると、これらの地名は延長九年(九三一)に編纂された『和名類聚抄』に出ているというから、比奈におけるかぐや姫の伝承は少なくともそれ以前からあったことになる。
いつ誰が比奈にかぐや姫の話をもたらしたのだろう…。
比奈はかつて海に突き出した岬にあった。海の道を通ればかなり遠方から比奈に到達することは可能だっただろうし、漁民から漁民へと海の道を通じ語り継がれて比奈に到達したということもあったかもしれない。
答えは出ないが、大和の地で生まれただろう話が、遠く離れた富士山麓の比奈に伝えられた背景に、東の海の道の果たした役割が大きかったのではないだろうかという気がしてならない。
帰り際、後ろを振り返ると、富士山は変わらぬ姿で聳えていた。かぐや姫に思い巡らせたせいか、純白の頂が神々しく見えた。
*写真ページ「旧東海道のひとこま」も更新しましたので、合わせてご覧くださいませ。