連載 紀行エッセイ「歩いて旅した東海道」

江尻

江尻は現在の清水、清水港に注ぐ巴川下流にある。江の尻なので江尻なのだろう。

宿場の中心部だったところは、いま商店街になっているが、閑散として見るべきものがなかったので、江尻に着くと早々に東海道からはずれ、次郎長ゆかりの場所に向かった。次郎長とは、言うまでもなく清水次郎長のこと。これまで吉原、由比、興津で、彼の話を耳にしたが、生まれはここ江尻である。

本名は山本長五郎。文政三年(一八二〇)、清水港に近い船持船頭の家に二男坊として生まれたが、米穀商を営む母方の叔父に子供がなかったので、養子に出された。ところが幼少のころから手の付けられないやんちゃ坊主で叔父の手に余り、修行を兼ねた奉公に出される。養父亡き後、家業を継ぐも、やがて侠客の道を突き進み、東海道を縄張りに広く名を轟かせたが、山岡鉄舟との出会いが次郎長の人生を好転させた。

薩埵峠手前の望嶽亭で、官軍に追われる鉄舟を主人が舟で逃がした話を聞いた。そのとき主人は次郎長に手紙を書き、鉄舟の護衛を依頼している。それが二人の最初の出会いだった。

捨て身の覚悟で西郷隆盛と会見した鉄舟に、次郎長は大きく感化されたが、二人の関係が深まったのは、明治元年(一八六八)に起きた咸臨丸かんりんまる事件の後と言われる。銚子沖で暴風雨に遭い、清水港に入港した幕府側の軍艦咸臨丸が、新政府軍に襲撃された際、乗組員たちは殺され、海に投げ捨てられた。放置されていた遺体に誰も手を付けることができなかったとき、立ち上がったのが次郎長だった。

「死ねば皆仏。仏に賊軍も官軍もなかろう」

そう言い放つと、遺体を海から引き上げ、手厚く葬った。

鉄舟もまた、そんな次郎長に打たれたのだ。

鉄舟と次郎長は生まれ育ちも立場も違うが、正義のために我が身を省みない潔さは共通していた。それが二人を強く結びつけたのだろう。

 

  

梅陰寺で次郎長の墓参りを済ませ、巴川河口にある次郎長の生家を訪ねた。

次郎長は生まれてすぐ養子に出されているので、そこで育ったということではない。だが、当時の暮らしをそのまま残したその家は、いまは次郎長についての展示施設になっている。壁一面に貼られたパネルを見ていくうち、私の中の次郎長像は瞬く間に変わっていった。

次郎長は鉄舟と出会って以後の後半生、それまでとは全く違う人生を歩んでいる。富士山麓の開墾、清水港の整備、英語塾開設による人材育成、相良油田の開発、東海道線の敷設等々、清水の町と駿河全体の発展に大きく貢献した晩年の次郎長は篤志家で、もはやアウトローだった前半生の面影はない。

次郎長が後半生に手がけた数々の事業は、前半生の侠客時代に得た情報収集能力や交渉力、人脈などに支えられたが、それらは次郎長が本来持ち合わせていた資質であったと同時に、それらをさらに鍛えあげる場があったということが大きいだろう。

それは言うまでもなく東海道、それも清水を中心にした駿河の東海道である。

明治維新を迎えると、駿府は江戸に向かう新政府軍の逗留地になったが、清水と駿府は目と鼻の先。つまり次郎長は、時代の最先端の情報をいち早く感知できる場所にいたことになる。

江戸、駿府、京都を行き来する人や、そうした人たちによってもたらされる情報を通じ、才能を大きく開花させた次郎長を知れば知るほど、東海道の申し子という思いが強くなる。

岡本かの子の小説『東海道五十三次』に「この東海道には東海道人種とでも名付くべく面白い人間が沢山いるんですよ」とある。次郎長は間違いなく、「東海道人種」だった。

次郎長生家に展示されているイラストを眺めているうち、どうも見覚えがあるような気がしてきた。記憶の糸をたぐり寄せていくと、そのイラストとよく似た雰囲気の絵を、由比の薩埵峠手前で立ち寄った望嶽亭で目にしたことを思い出した。それは望嶽亭の先代当主松永宝蔵氏さんが描いた現代版東海道五十三次で、弥次喜多コンビをユーモラスに描いた画風はなかなかの腕前だった。

ここ江尻の次郎長生家でも、松永氏の絵を見ることになるとは……。

東海道を行き来し、その生きた証を各地に刻んだ東海道人種の一人をもう一人見つけたような気がして嬉しくなった。

 

 

*写真ページ「旧東海道のひとこま」も更新しましたので、どうぞご覧くださいませ。

 

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