連載 紀行エッセイ「歩いて旅した東海道」

岡部

連歌師宗長が丸子滞在中に書き残した手記や日記の一つに、『宇津山記』がある。この宇津山はこれから越えようとしている宇津ノ谷峠周辺のことだ。

冒頭、宗長はこう記している。

駿河国宇津の山は、斎藤加賀守安元しる所、山より十七・八町川につきてくだる。さながら鈴鹿の関こえし心地ぞする。

ここに記された川とは丸子川。地図でその源流をたどると、宇津ノ谷峠付近の山中に達する。宗長は宇津ノ谷に鈴鹿を重ね見ている。その山峡の雰囲気は、宇津ノ谷峠を越え岡部に着くまで、しばらくの間続く。

山の景色を楽しみに丸子を後にしたが、程なく東海道は国道一号線に合流し、耳奥に残っていた柴屋寺の静寂の余韻が完全に立ち消えた。

国道沿いで目に入るのは、採石工場やガソリンスタンドばかり。片側二車線の広い道を、高速道路並のスピードで車が走り抜けていく。おまけに、先ほどからぐんぐんと気温が上がり、アスファルトの照り返しがきつくなっている。

いまは六月。梅雨の晴れ間は真夏と変わらない。心臓の鼓動が、走り抜ける車の音より大きく感じられてくる。

「そろそろ限界か」

そう思ったころ、国道の先に二つのトンネルが見えた。途切れていた旧道は、トンネルの手前から復活する。ほっと一息つき、汗をぬぐった。

トンネルは宇津ノ谷トンネルといい、まさに宇津ノ谷峠の下を通っている。下り二車線は平成に完成したので平成トンネル、上りは昭和トンネルと呼ばれるように、交通量の増加に伴い新たに掘られていった。もっと浅いところに明治のトンネルや大正のトンネルもあるので、この山には近代交通の全歴史が刻まれていることになる。

これから歩こうとしている宇津ノ谷峠越えの東海道は、明治のトンネルができるまで、丸子と岡部を結んだ道だ。ということは、明治のトンネルができて以後、人の往来が減った道でもある。この状況は薩埵峠越えを控えた由比の倉沢にも似ているが、あちらはうまい具合に風情ある町並みが残されていた。宇津ノ谷はどうだろう。旧道へと通じる歩道橋を駆け下りた。

   

旧道に入ったとたん車の音が途切れ、一瞬あたりは静まりかえるが、すぐに丸子川のせせらぎが耳に届き、旧道に趣を添える。樹木が覆い被さる川面をのぞき込むように、弓なりの小道を歩いていくと、やがて旧道は直線に変わる。見通しがよくなった道の先に現れたのは、期待に違わない街道風景だった。

正面には山、旧道はその山に向かった上り坂で、石垣を土台にした木造の民家が突き当たりの石段まで隙間なく建ち並んでいる。多くは二階建てだが、平屋も見られ、杉板張や連子格子が懐かしい雰囲気を醸している。緩やかな時の流れが、そこかしこに溜まっているような集落だ。

宇津ノ谷は間の宿だった。その歴史を伝えようと、各戸の前にはかつての屋号が掲げられている。その一つ一つを見ながら坂を上がっていくと、集落の中程にひときわ歴史を感じさせる一軒の家があった。「御羽織屋」と書かれた看板が下がり、玄関前にはその屋号の由来を記した表示も見える。秀吉から賜った羽織が伝わることから、御羽織屋というらしい。

庭に回り呼び鈴を押すと、中から「どうぞお入りください」と女性の声。引き戸を開けた私を出迎えてくれたのは、齢九十近い石川ときさんだった。

日が差しこまないよう板戸を閉め、蛍光灯の灯りだけの室内は、それまできつい日ざしの下を歩き続けてきた目には暗く感じられる。奥に正座した石川さんは「ようこそおいでくださいました」と両手をついて深々とお辞儀をすると、すぐに話し始めた。

「この前の道は旧東海道で、宇津ノ谷は丸子と岡部の間にある間の宿でした。ここは御羽織屋といいますが、いまでもこのあたりでは、お互い昔の屋号で呼び合ってるんです」

その直後、石川さんの声色が変わった。

「時は天正十八年(一五九〇)、小田原にいる北条氏征伐のため東海道を下った秀吉公は、軒下につるしてあった馬の沓に目を留め、そのとき履いていたものと取り替えようとしたところ、時の主人石川忠左エ門は三脚分しか出しません。
『馬の脚は四つあるのに三つしか出さないとはどういうことか』と秀吉公がお尋ねになると、主人は『一つは戦の勝利を祈願してお預かりします』と答えました。四というのは縁起が悪いので三つだけ渡したのです」

何度もここを訪ねてくる人にこの話をしているので、すっかり暗記していると言ってしまえばそれまでだが、半眼で遠い記憶をたぐり寄せるように話をする石川さんの姿を見ていると、私まで一緒に時間を遡り、その光景を見ているような気がしてくる。

石川さんの話は続く。

「忠左エ門はなかなか頓智の働く人だったようです。『お前の名はなんと申す』『忠左エ門と申します』『忠義の忠左エ門か。ところであの山はなんと申す』『勝山と申します』『あの木は』『あれは勝の木と申します』それを聞いた秀吉公は大喜びで戦に出かけ、勝利をおさめました。帰り道、再びここに立ち寄った秀吉公は、主人が毎日戦の勝利を祈っていたと知り、着ていた陣羽織を褒美として遣わしました。それがあの羽織です」

息つく間もなく一気にそこまで語ると、石川さんは部屋の隅のガラスケースに入った羽織を指さした。

当初は白かったのだろう。いまは全体に灰色がかっているが、襟と袖には刺繍が施された金の布があしらわれているので、華やかな羽織だったとわかる。

「普通の羽織にしては大きいでしょう。あれは鎧の上から着るので、あのような大きさなんです。裏は絹ですが表面は和紙です。和紙といっても丈夫で暖かいんですね。江戸時代になって、秀吉公から賜った羽織があるというんで、参勤交代の大名さんたちがここにお寄りになって、みんな秀吉公にあやかろうと羽織を触っていったので、あのような色になってしまいました。中には袖の先をちぎっていった人もいるんです。袖と襟のオレンジのところは生地がなくなっていたので、東京の国立博物館のほうで修理してくださいました」

石川さんはこんなことも話してくれた。

秀吉から他に何か望みはと聞かれた忠左エ門は、宇津ノ谷が小さな集落で道中の御用をするのが大変なので、諸役を免除してほしいと願い出たところ、秀吉は快く承知したと。 最初何気なく聞いていたが、よく考えるとこの話はおもしろい。道中の御用というのは伝馬のことで、すでに秀吉の時代このあたりに伝馬制が敷かれていたことになる。だがそれを手がけたのは秀吉ではない。それなら誰がと考えたとき、浮かんだのは家康の顔だった。

天正十年(一五八二)信玄を滅ぼした家康は、信長から駿河国を与えられ、三河、駿河、遠江、甲斐、そして信濃を治める五カ国領有時代に入った。その間に家康は街道をはじめ領国を様々整備している。伝馬制もその時代に整えられたものだろう。小田原攻めに勝った秀吉によって、家康は関東に国替えを命じられるので、御羽織屋のこの一件は、家康による五カ国時代最後の出来事ということになる。家康の領国内のことを秀吉が裁定できたという力関係がわかり興味深いが、その後関ヶ原の戦いを経て天下を手中に収めた家康は、東海道を本格的に整備、秀吉によってなされた宇津ノ谷の諸役免除もそのまま引き継いだという。

羽織の入ったガラスケースの隣に別のケースがあり、そちらには茶碗や大福帳などが展示されている。一つは家康拝領の呉須、もう一つは慶喜拝領の赤絵。家康は鷹狩りの帰りに宇津ノ谷に立ち寄り、その茶碗を賜ったという。

御羽織屋という屋号には秀吉の存在が染みついている。家康としては、天下人となった自分の存在を知らしめるものを、ここに置いていきたい。茶碗から、家康のそうした気持ちが感じられる。

大名行列の一行をはじめ、東海道を通る人たちは皆御羽織屋に立ち寄り、秀吉の羽織と家康の茶碗を目にしていった。それはいまも続き、私も同じものを拝観している。そう思うと、四百年という歳月が意外にも手の届くところにある気がしてくる。

「この後はどちらへ」

石川さんの声で現実に引き戻された。

「宇津ノ谷峠を越えて岡部、そして藤枝まで行きたいんです。峠道がちょっと心配で」

「あなたの足なら大丈夫。昔は鬱蒼として怖かったでしょうけど、まだ日が高いから安心して歩けますよ」

お礼を言って薄暗い部屋から外に出ると、強い日ざしに目がくらんだ。

そういえば、石川さんがいつからこうして立ち寄る人に話をされているのか、尋ね損なった。それだけではない。いつから宇津ノ谷で暮らしているのか、いまの宇津ノ谷をどう思っているのかなど、たくさん聞きたいことがあったのに、四百年前と交信するかのように語る石川さんのペースに完全にのまれ、御羽織屋の話に終始してしまったが、それでよかったのかもしれない。

石川さんは真の語り部で、そういう人にとって主役は御羽織屋であり宇津ノ谷なのだ。

     

御羽織屋を出ると、宇津ノ谷峠はすぐだった。昔は鬱蒼として怖かっただろうという石川さんの言葉通り、いまも空が見えないほどに木が茂り、蛇でも出そうな山道だが、距離が短いのでたちまち岡部側に出た。

岡部は丸子同様、鉄道から離れた山間の町。お茶や筍が特産で、東海道沿いにも竹林や急斜面を利用した茶畑が拡がっている。岡部川に沿って歩いていくと、旧東海道らしい建物が現れる。旅籠の柏屋だ。復元だが、二階建ての立派な建物。休憩がてら、見学していくことにした。

 

*写真ページ「旧東海道のひとこま」も更新しましたので、どうぞご覧くださいませ。(宇津ノ谷の写真は一つ前のこちらをご覧くださいませ。)

 

 

 

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