連載 紀行エッセイ「歩いて旅した東海道」

新居

古代、琵琶湖は都に近い湖ということから「近つ淡海おうみ」と呼ばれ、浜名湖は都から遠く離れているので「遠つ淡海」と呼ばれた。名前から一対の感じだが、実際浜名湖の北を通る姫街道を歩いたとき、ときおり湖の見える緑豊かな街道や、自然の中にひっそりとたたずむ古社寺の雰囲気に、琵琶湖の北、湖北地方と呼ばれる各地を訪ね歩いた記憶が蘇り、琵琶湖周辺にいるような錯覚を覚えたものだ。

浜名湖の北東に、気賀というところがある。そこの龍潭寺で拝観した小堀遠州作と伝わる庭は、緩やかな築山に小さく刈り込まれた皐がリズミカルに配され、整然とした中にも小気味よさを感じた。

同じく気賀には長楽寺という古刹もある。そこの満天星の庭と呼ばれる庭も印象深い。遠くに望む大きな岩までもを借景に取り込んだ、スケールが大きく野趣に富んだ庭で、こちらも遠州作と伝わるらしい。

三ヶ日にある摩訶耶寺まかやじでは、中世の趣を残した高貴な庭を堪能した。ここの中世庭園は、日本よりも海外での知名度の方が高いらしいが、いずれの庭も個性的で、京都や奈良の名園と言われるものに全く引けを取らないにもかかわらず、観光化とは無縁で、人知れず守られていることに驚いた。そういうものを目にしたときの喜びは、何物にも代えがたい。

それはともかく、そのとき気賀の長楽寺で、寺を管理している奥さんからこんな話を聞いた。

「名園を持つお寺は浜名湖の北に多いんですけど、南にも一つあるんですよ。本興寺といって、庭はここと同じ遠州作と言われてます。そこは庭もいいんですけど、谷文晁の襖絵も見応えがありますよ。文晁寺って言われるくらいで」

場所を尋ねると、新居から北西に三キロほどの、鷲津だという。東海道の旅が新居まで来たら足を延ばしてみようと、そのときから楽しみにしていた。

 

 

新居の関所は、江戸時代に設けられた関所の中で、建物が現存する唯一のもの。復元修理された建物内に、取り調べの様子を再現した人形が並ぶ。その見学を終えると、新居駅に戻り、豊橋行きの東海道線に乗った。

新幹線と並行して西向きに進んでいた東海道線は、新居を過ぎると北に向きを変える。鷲津は新居から一駅、浜名湖に向かって突き出た小さな半島の付け根の町だ。

 

お寺は湖岸から五百メートルほど南、周りを丘陵に囲まれている。塔頭を見ながら静かな参道を歩いていくと、正面奥の木立の隙間から茅葺き屋根が顔をのぞかせている。本興寺の本堂で、戦国時代の天文二十一年(一五五二)に修復されたものという。天文年間といえば、今川義元が尾張進出への足がかりを築いていたころ。各地で戦が起きていたはずだが、幸いここは戦乱を免れたらしい。

本興寺の創建は、それより二百年近く遡る南北朝時代の永徳三年(一三八三)。越後国本成寺の日陣聖人が、東海地方を巡礼中、当地にあった真言宗のとある寺の住職に教えを施し、法華宗に改めたことに始まると言われる。

方丈の扉をくぐると、受付に座っていた六十代ぐらいの女性の顔がぱっと華やいだ。拝観に訪れる人は希なのだろう。

「上がって左の大書院にお進みください。すぐに雨戸を開けますから、先に室内をご覧ください」

早速上段の間に向かうと、半開きにした襖から床の間の壁まで、一面文晁の山水図で埋めつくされている。文晁の作品があるというので訪ねてきたが、これほどとは思ってもいなかった。

向かって左の壁には夏の景色、正面の床の間には冬、正面右の壁には秋の景色が並び、襖の内側には春の景色が描かれている。襖と壁合わせて十五面、四季山水で埋めつくされたその部屋は、中に入ることはできなくとも、手前の部屋や縁側からでも十分空間の拡がりが感じられる。

なだらかな山を背に、小さな集落に霞がかかった春が特にいい。しっとりとしたその場の空気が画面の外にまであふれ出してくるようで、思わず深く息を吸い込む。

これはまるで、以前訪ねた早朝の奥浜名湖のようではないか。

そう思って他の絵に目を転じると、切り立った岩が印象的な夏の絵も、わき上がる雲が空の高さを感じさせる秋の絵も、どれも浜名湖周辺の風景に思えてくる。

本興寺の山水図は、文政十年(一八二七)大書院落成に合わせ、当時の住職が知り合いを通じて、江戸にいる文晁に依頼したものだという。それぞれに署名と角印が見られるが、春の絵は文晁自身も気に入っていたのか、落款が金になっている。

その春にもう一度目をやると、海風とは違う湖ならではの優しい風が、水辺の香りをこちらまで運んでくれたよう、空想の風に思わず目を閉じた。

さわさわさわと木々の揺れる音がする。いつの間にか、雨戸が開けられ、遠州作という庭が姿を現していた。

本興寺の庭が遠州作という確かな証拠はないが、この寺は江戸時代家康から御朱印地を拝領するなど、徳川家と結びつきを持っていた。江戸幕府の作事奉行だった遠州が、名古屋城や伏見城などの普請の際、鷲津に立ち寄った可能性はある。さらに遠州は駿府城普請の功績により従五位下遠江守に叙任されていることから、遠江国との繋がりもあった。

西側の丘陵を借景にした池泉観賞庭園。向かって右奥には吉田城から移築したという奥書院も見える。移築は元禄十一年(一六九八)、遠州が活躍した時代より一世紀近く後なので、いま目の前に拡がっている庭は作庭当初とはだいぶ異なる。とはいえ蓬莱式という庭の基本は現在まで受け継がれているはずと、亀島や鶴島らしき場所に視線を移すも、池の表面は水中植物で覆われ島の形がはっきりしない。

庭は植生が変わると、造園当初の作者の意図がわかりにくくなる。それが庭の難しいところだが、目の前の庭は自然の流れに身を任せたような鷹揚な雰囲気で、かえってそれが歩き疲れた私には心地良い。しばらく縁側に腰を下ろし庭を眺めていると、これもまた浜名湖の風景のように思えてくる。

新居までの道中、期待していたような湖水風景を見ることは叶わなかったが、本興寺で別の意味において浜名湖の風景に出会えた。こういう風景の観賞があってもよい。

 

 

 

*写真ページ「旧東海道のひとこま」も更新しましたので、どうぞご覧くださいませ。

 

 

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コメント

    • wpmaster
    • 2018年 4月 23日

    コメントをどうもありがとうございます。観光で浜名湖を訪れるときは湖の北や東が多いのでしょうね。鷲津はそういう意味で観光地ではありませんが、本興寺は落ち着きのある良いお寺で、しばらく緑を目にすることなく殺風景な道を歩いてきた身にはほっと一息つくことができました。

    • 松本 茂樹
    • 2018年 4月 23日

    本興寺は、あまり人知れないところにひっそりとたたずむ古刹なんですね。修復が1552年というからには歴史を感じますね。

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