連載 紀行エッセイ「歩いて旅した東海道」

白須賀

中世、今切が出来る以前の浜名湖は、浜名川によって海に通じ、河口付近に架けられた橋の袂には橋本宿が置かれていた。現在浜名川はないが、当時は新居から三キロほど西に河口があったらしい。橋本という地名も残っていないが、新居の関所を過ぎ、南に折れた旧道が国道一号線に合流した辺りが、かつての橋本だ。

すみわたるひかりもきよし白砂の はまなのはしのあきの夜の月  藤原光俊 『新勅撰集』

ここに歌われているのは、浜名橋の風景だが、橋本や浜名川、浜名橋はどれも歌枕として知られていた。

これまで歩いてきた東海道沿いの風景の中で、これほど多くの人たちが心に留め、歌や紀行文に残した場所は他にあっただろうかと思うほど、このあたりを詠んだ歌は多い。

湖水の風景は、海のそれと違い、微妙な中間色を湛え陰影に富んでいる。それが旅人に詩心を芽生えさせたのだろうか。地名も含めすっかり様変わりしてしまったいまは、古人いにしえびとが残した言葉から当時の風景を想像するしかない。

多くの旅人の心を捉えた中世の宿場・橋本を過ぎたころから、東海道沿いの民家もまばらになり、色づいた稲穂や道路脇に咲く彼岸花が目に付くようになる。やがて右に小高い山並みが見えてくる。標高としてはせいぜい百メートルほどで、緑の壁のように続く。どこまで続いているのかわからないが、白須賀の先までの断続的な丘陵らしい。

この山並みは中世高師山と呼ばれ、ここも多くの歌に詠まれた歌枕だった。阿仏尼は『十六夜日記』で「高師の山も越えつ。海見ゆる程、いと面白し。浦風荒れて、松の響すごく、浪いと荒し。」と述べた後、次の歌を詠んでいる。

わがためや風も高師の浜ならむ 袖のみなとの波はやすまで

もう一首、これは西行だ。

朝かせにみなとをいつる友舟は たかしの山のもみちなりけり 『夫木和歌抄』 

 

前回東海道を歩いたときは、厳しい残暑に参ったが、一月違うともうすっかり秋の空で、ときおり吹き抜ける風が心地よい。かつて歌枕として知られた高師山を右に見ながら、長閑な旧道を西に向かって歩いた。

先日の台風で倒された稲穂が、田圃に模様を浮かび上がらせている。ところどころで稲刈りが終わり、刈り取ったばかりの稲穂が稲架はさに架けられ、風に揺れている。上を見れば椋鳥の群れ。上空を旋回しながら、着地点を探っているようだ。

道ばたに咲く彼岸花。民家の庭先で色づきはじめた柿。透明な青空を覆う鰯雲。白須賀に向かう東海道は秋の気配に満ちあふれ、久しぶりに歩く楽しみを実感する。

海岸線と並行するように西に向かっていた東海道は、潮見坂で北に向きを変え、海から遠のいていく。坂はかなり急だが、その分眺望もきいたようで、ここも古来歌枕として知られた名所だった。

今ぞはやねがひみちぬる盬見坂 心ひかれしふじをながめて   足利義教   『覧富士記』
                                 

室町幕府六代将軍足利義教は、富士遊覧の旅でこう詠んだ。潮見坂は西から東へと旅する人が、初めて富士山を見ることのできる場所だったのだ。

また潮見坂は、眼下に広がる広大な遠州灘の風景でも旅人の心を捉えた。西から東に向かう旅人にとって海は伊勢湾以来、外洋のスケールの大きさに感嘆の声を漏らしたことは想像に難くない。

潮見坂を上りきると、展望台のある小さな公園がある。そこから見える遠州灘は、広重による保永堂版「白須賀 汐見阪図」さながらで、左右を山に挟まれ逆三角形に青を湛えている。

しばらく海を眺めていると、西から一艘の船。おそらく漁船だろう。海は光の反射がなければ空と区別がつかないほど明るい青を湛え、静まりかえっている。

どこからか蜻蛉がやってきては、また秋の空に消えていく。

海の風景は安らぎに満ちている。

 

潮見坂からの風景を目に焼き付け、白須賀宿に入っていった。

東海道三十三番目の宿場、白須賀は、遠江国の西端に位置していた。丸子や岡部がそうだったように、白須賀にも鉄道が通っていない。そういうところには、時計の針を巻き戻したような、どこかしら似た雰囲気が漂うものだ。

実際白須賀には、灰色の瓦屋根や深い軒、連子格子の家が続き、昭和二、三十年代の町に迷い込んだような錯覚を覚える。そういう町でも本陣や脇本陣の建物は残っておらず、趣ある民家も江戸時代に遡るものではないが、白須賀を歩いていると懐かしい気持ちになり、同時に安堵感を抱く。

白須賀は当初潮見坂の下にあった。それが津波により、現在地に移転を余儀なくされたが、移転後は安泰というわけではなく、今度は冬の強い西風でたびたび火災に見舞われた。安永二年(一七七三)の大火では、二百戸近くが罹災したという。

津波にやられ、火災にやられ、そして明治になると鉄道の計画からはずされと苦難の連続だったが、鉄道が白須賀を通らなかったことは町並み保存のためにはマイナスではなかったはずだ。白須賀のような町並みは、五、六十年前なら至るところに見られた。決して特別なものではないが、いまとなっては貴重だ。いずれこれらの家々も、建て替えられていく。数年後に白須賀を歩いたら、もうこの町並みは残っていないかもしれない。

風景との出会いも一期一会。街道風景を目に焼き付け白須賀を後にした。

 

 

*写真ページ「旧東海道のひとこま」も更新しましたので、どうぞご覧くださいませ。

 

 

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