連載 紀行エッセイ「歩いて旅した東海道」

藤川

三時を過ぎ、高かった日がかなり西に傾いているが、山がちょうどよい具合に太陽を隠してくれるので、街道に降り注ぐのは柔らかくなった山越しの西日だ。稲刈りが終わって間もないようで、刈り取られた稲は田圃の片隅に置かれた稲架はさに架けられ、ときおり吹く風に揺れている。

こうしたのどかな街道風景がずっと続いてほしいが、なかなかそうはいかないもので、程なく旧道は国道一号線に合流し、静寂が破られた。歩道脇には殺風景な工場が並び、トラックが排気ガスをまき散らしながら走り抜けていく。それと並行し、名鉄の赤い電車が岡崎方面に消えていく。

しばらく国道を歩いていると、真新しい冠木門と「是より西 本宿村」と書かれた大きな表示が見えてきた。次の宿場は藤川。本宿というのは聞いたことがない。説明に目をやると、本宿は昔から交通の要衝で、中世以降この先にある法蔵寺の門前町として栄え、近世には赤坂と藤川の間に位置することから、間の宿として賑わったらしい。

古代や中世の東海道は、法蔵寺の裏山から宮路山に通じていたというから、たとえば中世に東海道を旅し、宮路山の紅葉を日記に記した菅原孝標女などは、行きはここから山道に入り、帰りはここで山道の疲れを癒やし、法蔵寺にお詣りしたかもしれない。
法蔵寺の先に続く本宿の町並みは、一キロほどで終わる。その後東海道は、国道との分岐や合流を繰り返しながら、四十分ほどで藤川に入っていった。

小さな宿場だった藤川は、いまもどこか控えめだ。夕焼けに染まる空を見ながら、連子格子の家が残る道を歩いていると、学校帰りの中学生たちが、自転車で旧道を走り抜けていく。その先では、お婆さんが数人立ち話をしている。ゆったりとした日常が、藤川の町に流れている。

本陣や脇本陣があった中心部にやってきた。当時の建物は残っていないが、とある家の前に「資料館」と看板が出ている。

「もう五時を過ぎてるから、閉まってますよ」

振り向くと、通りがかりのお婆さんが手招きしている。

「裏に本陣の石垣が残ってるから、見てってな」

建物の裏に回ってみると、緩やかな坂の先に畑が拡がり、その先に野面積みの石垣が十数メートルにわたって続いている。東海道からでは、それほど大きな敷地には見えなかったが、奥行きがかなりあり、立派な本陣だったとわかる。

石垣の横には小さな麦畑。むらさき麦と書かれた札が立つ。江戸時代の名物を、地域振興のために復活させたらしい。

ここも三河 むらさき麦の かきつばた

芭蕉にこのような句がある。「かきつばた」といえば、藤川の二つ先の知立に近い八橋が有名だが、芭蕉は東海道を旅しながら、藤川で風に揺れるむらさき麦の紫色の穂を見て、八橋の燕子花の紫を重ねたのだろう。

紫といっても、燕子花の鮮やかな紫と違い、むらさき麦の紫は控えめな色だが、どことなく藤川の雰囲気にも通じるようではないか。

暮れなずむ麦畑で、この日の旅を終えた。

 

 

*写真ページ「旧東海道のひとこまも更新しましたので、どうぞご覧くださいませ。

 

 

 

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