連載 紀行エッセイ「歩いて旅した東海道」

庄野

石薬師の家並みが途切れると、東海道は畦道になる。もう数ヶ月早かったら目の前の広大な水田に黄金色の稲穂が揺れていただろうが、十一月も下旬にさしかかったいま、あたりは見渡す限り枯野が続いている。そこに、ときおりカラスの群れが舞い降りては、地面をひとしきりついばんでまた飛び立っていく。冷たい風が吹くなか、日が傾き始めた広大な農地を一人ぽつりと歩くのは心細いもので、疲労した体から精一杯の力を振り絞り小走りに進んだ。

やがて旧道は畦道を抜け、国道一号線に合流する。そこでようやく人心地ついたが、国道沿いにはガソリンスタンドや工場ばかりで立ち寄る場所もない。人里を求めるように先を急いだ。

やがてコンクリート工場の先で旧道が復活、「東海道庄野宿」と刻まれた石標が出迎えてくれた。庄野に着いたのだ。

幅五メートルほどの旧道に、連子格子の落ち着いた民家が、肩を寄せ合うように並んでいる。南に向かう旧道、進行方向左側の家々は西日を受けて輝いているが、右側はもう夜の闇に片足をつっこんだように薄暗い。街道沿いには、小さな水路。その水音が、静かな庄野の町を包んでいる。

一つ手前の石薬師もそうだったように、四日市から亀山までの距離が長いことから、庄野も後になって追加された宿場で、設置は寛政元年(一六二四)と、東海道中最も遅い。庄野はもともと小さな農村で、宿場町を形成できる規模ではなかった。そのため、鈴鹿川対岸から集落を移し、ようやく宿場町の体をなしたという。

設置も一番遅かったが、規模の上でも東海道中最も小さかった。本陣と脇本陣は各一軒ずつ、旅籠は十五軒と、一つ手前の石薬師よりさらにこじんまりとしていたが、両者は三キロしか離れていないこともあり、雰囲気が似ている。

 

歩調を緩め旧道を歩いていると、連子格子に犬矢来を持つ立派な家が見えてくる。「鈴鹿市指定建造物 小林家住宅」と刻まれた真新しい石標が立ち、庄野宿資料館と木の表札も出ている。開館は四時まで。時計を見ると五分前だったが、扉を開けて中に入ると、六十ぐらいの女性が出迎えてくれた。

「いまからでもいいですか」

「どうぞどうぞ。簡単にご説明します」

建物に上がると、早速説明が始まった。

「ここは江戸時代油屋を営んでいた小林家の家で、嘉永七年(一八五四)に建てられたようです。鈴鹿市が建物を買い取って、平成十年(一九九八)からこうして公開しています。庄野は戦災に遭わなかったので、宿場時代のものがたくさん残ってるんですよ」

本陣の宿帳や諸藩朱印控帳などを示しながら、それらの由来を話してくれる。

「これをご覧ください」

自慢そうに示すのは、横幅二メートル半もある大きな高札で、字は薄くなっているが、近寄ると文字の部分が浮き上がって見える。

「雨風にさらされて墨が薄くなってますが、膠が残ってこんな風になったんです」

庄野にはこの大きな高札を含め、五枚の高札が残っているという。書かれた文字に目を凝らすと、最近宿場が困窮しているので人馬の駄賃を三割値上げしたとか、徒党を組んで申し合わせたり逃散したりするのを禁じるとか、当時の様子が垣間見られる。

駆け足だが一通り見学を終え、間もなく日没を迎える庄野の町を進んだ。

旧道は先ほどよりも薄暗く、町全体が眠りについたように静止している。鈴鹿川に架かる庄野橋から宿場の方を振り返ると、西に連なる鈴鹿山脈に沈んだ太陽の最後の片鱗が、黄金の光を空に放ち、空は茜色に染まっていった。

 

 

 

庄野に来たら、寄り道をしたい場所があった。それは日本武尊の墳墓だとかつて言われていた白鳥塚古墳である。かつて言われていたというのは、現在日本武尊の墳墓は別の場所が治定されているためだ。白鳥塚古墳は庄野宿にほど近い、加佐登駅の北一キロほどの丘陵にあり、その手前には日本武尊が死の間際まで持っていたと伝わる笠と杖をご神体としてお祀りする加佐登神社もある。

日本武尊といえば、ここまでの東海道中何度もその足跡に出会い、そのたびに古代に思いを巡らせてきた。大磯の吾妻山や静岡の草薙神社、薩埵峠近くの鞍去くさり神社や岡崎の矢作やはぎ神社、そして熱田神宮など、忘れかけていると突然思い出したようにその存在が浮かび、いつしか私は東海道と日本武尊の東征の道を重ねるようになっていた。

つい最近では石薬師手前の杖衝坂がそうで、このあたりまで来ると、日本武尊にまつわる伝説は伊勢国の能褒野(のぼの)で命果てる最晩年のものとなり、東海道の東で目にしてきた、東征に向かう勇ましい日本武尊とは対照的だ。

日本武尊は神話の世界の人物だが、それを超越した特別な存在感を持っている。

 

 

翌朝、始発のバスで白鳥塚古墳に向かった。バスは前日歩いたのとは逆向きに庄野の町を抜け、加佐登駅を過ぎると勾配の急な坂道に入っていく。坂の上でバスを降り、神社を目指し緩やかな坂を下ると、突き当たりに緑に覆われた小高い丘。それが加佐登神社と古墳だった。

一礼して鳥居をくぐると、きれいに整備された参道の石段に、信者たちが奉納した鳥居がトンネルのように続いている。しばらくして頭上を覆っていた枝葉に隙間ができるころ、ようやく石段の終わりが見え、明るい境内に出た。

早朝の境内はすがすがしい。冷たい風に頬をなでられ、呼吸が整っていく。お詣りを済ませ、境内の写真を撮っていると、社務所から宮司さんが出てこられた。

「早くからお詣りですね」

そう声をかけられたので、東海道を歩いてようやく庄野まで来たことや、これまでいろいろなところで日本武尊の足跡に出会ったことなどを話していると、宮司さんは軽く微笑んでまた口を開いた。

「このあたりは日本武尊に謂われのある場所が多いんです。あなたも歩いたでしょうけど、石薬師には日本武尊が足を引きずりながら上ったという杖衝坂があります。墓にいたっては、この裏にある白鳥塚古墳のほかに、亀山の能褒野やここから五キロばかり北にある長瀬神社の武備塚とか、いくつもありましてね。ご存じのように、宮内庁が日本武尊のお墓としてるのは、能褒野の御陵ですけど。まあ、そのあたり江戸時代からいろいろあったようで」

武備塚というのは、亀山藩が認定したことにより、江戸の中頃日本武尊の墓として注目されたものという。その後白鳥塚を訪ねた本居宣長が、白鳥塚こそ日本武尊の墓であると『古事記伝』に記したことから、今度はそちらが日本武尊の御陵とされた。ところがその後、明治十二年(一八七九)に、それまであまり注目されてこなかった丁子塚が、前方後円墳であるという理由で御陵に指定されたのだという。これがいわゆる能褒野の御陵で、現在宮内庁が日本武尊の墓と治定しているのは、能褒野のほか、琴弾原(奈良県御所市)と河内の古市(大阪府羽曳野市)と三カ所ある。

日本武尊の魂は、死後白鳥となって飛び立ったと『記』『紀』に記されているが、この三カ所は『日本書紀』で白鳥が降り立ったとされる場所だ。おそらく後の時代に、尊を追慕して造営されたものもあるだろう。

神社の奥にある、白鳥塚古墳に向かった。落葉が積もった道を抜けると、やがて「白鳥塚古墳」と刻まれた石柱が現れ、その奥が少し小高くなっている。そこに続く斜面の手前にしめ縄が張られ、立ち入ることはできない。説明に目をやると、この古墳は五世紀前半に鈴鹿川流域を支配した首長の墓だろうと書かれていた。

そうなのだろう、ここはこの地域を治めた豪族の墓なのだ。けれども、伝承が史実とは重ならなくとも、受け継がれてきた思いがあったことは紛れもない事実だ。

神社の境内には、日本武尊の石像や木像がいくつもあった。どれも地元の人たちの手作り、日本武尊への信仰が生んだものだが、稚拙な中からわき出る力が感じられた。木像についてはこんな話を聞いた。境内にあった枯れかかった欅を使い、隣町の建具職人が日本武尊像を彫ることになったが、当時その職人は病を患っていた。彫り上がったところで各地から信者が集まり、大勢の人の手で磨かれ、ようやく完成すると、職人の病も癒えていた。

土地に伝わる思いを大切にしたい。

 

 

*写真ページ「旧東海道のひとこまも更新しましたので、どうぞご覧くださいませ。

 

 

 

 

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