連載 紀行エッセイ「歩いて旅した東海道」

亀山

東から西に向かって東海道を歩きながら、いつどの時点で西に入った実感が得られるのだろうと、いつも気にかけていた。

西に一歩を踏み出したと思えたのは、七里の渡しで伊勢国の桑名に入ったときだが、実際には桑名は名古屋圏内、東海地方の色が濃く、まだ西ではなかった。石薬師で東海道が西に向きを変えたとき、彼方に聳える鈴鹿の山並みに西を感じたが、それでも西に入ったとは言えない気がした。かといって、そこは東海でもないから、そのあたりは東海と関西が混ざり合った、中間地帯と言うべきなのだろう。

ある人が「ここは関西やんか」と思っても、別の人は「東海だがや」と思うように、地元の人の間でも、状況に応じてあるいは個人の感覚によって、関西と東海の間を揺れ動いているらしい。ときおり耳にする言葉も関西弁のようでいて、名古屋弁のようにも聞こえる。

この先しばらくは言葉がそうであるように、二つの風土が重なる風景の中を進む。

 

庄野を出てから二時間ほど、長い上り坂の先にそびえ立つ和田の一里塚を過ぎると、程なく「従是西亀山宿」と書かれた木札が現れ、四十六番目の宿場亀山に到着したことを知らされた。

まず目につくのが、軒下や連子格子に掲げられたかつての屋号だ。「こめや」に「たちばなや」、「こんにゃくや」に「たわらや」と、長さ五十センチほどの木の板に町名と屋号が墨書されたものが、街道を埋めるように並んでいる。これまでにも屋号を掲げた旧宿場をいくつも通ってきたが、久しく目にしていなかった。写真を撮っていると、「東海道を歩いとるんですか」と散歩中の初老の男性に声をかけられた。

「これ、ええでしょう。ボランティアが中心になってやったんです」

旧道沿いの古い家が少なくなり商店街も廃れてきたので、かつての宿場の賑わいを復活させようと、数年前から市民有志が活動を始めた。屋号の掲示は、その最初の取り組みで、三キロにわたる亀山宿の東海道沿いに、四百枚もの屋号札を取り付け終えたときの喜びは、ひとしおだったという。

本陣や脇本陣など当時の建物は残っていなくても、住民たちの町への思いが伝わるだけで、東海道を旅する者は十分心を動かされる。宿場町だった歴史が息づいているか息絶えてしまっているかは、そこに暮らす人たちの意識によるところが大きい。

思わずそう言うと、「田舎やけど、ええとこでな」と顔がほころんだ。

  

 

ところで、亀山に慈恩寺という寺があり、そこの阿弥陀如来像がすばらしいと聞いていた。その像は三重県にある仏像の中でも最も古い部類に属し、国の重要文化財にも指定されている。現在寺は無住だが、予約をすれば拝観できるという。

「鍵を開けておいてくれるそうですから、自由にご拝観ください」

窓口になっている鈴鹿市に電話をかけ、昼過ぎに着く予定と伝えると、そんな返事があった。

丘陵の上に聳える亀山城の多聞櫓や亀山神社に立ち寄った後、古い商家などを見ながら西に歩いていくと、次第に道は下り坂になる。亀山宿の京口門があったために京口坂という。江戸時代の宿場はそのあたりまでだったが、西隣の野村に入っても旧道沿いには連子格子の町家や白壁の蔵が続き、依然宿場が続いている感じがする。

そんな野村に入って数百メートルほど西、東海道から一軒分奥まったところに慈恩寺はある。

大きな本堂は、最近建て替えられたばかりのように新しい。扉に手をかけてみるが、まだ鍵がかかっていたので、境内にある他のお堂にお詣りしていると、しばらくして軽自動車が入ってきた。車から出てきたのは、七十代ぐらいの小柄な男性だった。

「わざわざありがとうございます」

「待たれましたか。すぐ開けますから、ちょっとお待ちください」
しばらくして声がかかり、本堂に入る。

日が差しこむ広い堂内、その中央がまばゆいばかりに輝いている。光に導かれるように近づくと、金色の天蓋が光背の線に沿うように天井から垂れ下がり、その下に人の背丈ほどの阿弥陀如来像がお祀りされていた。

正面に座りひとしきり手を合わせた後、再び視線を上げると、内側から力が漲るような体の張りと、その体に沿う重厚な衣、穏やかな笑みを湛え包み込むように見下ろす表情に、目が釘付けになる。

「慈恩寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願でこの地を訪れた行基によって建てられた、と言われとるんです。最初は薬師寺いう法相宗の寺でしたが、この先にある忍山おしやま神社の神宮寺になって、神福寺と呼ばれるようになりました。慈恩寺になったのは戦国時代のようです。 この阿弥陀さんは平安時代の初めか、もしかすると奈良時代まで遡るかもしれないと言われとります。檜の一木造り。木心乾漆造りといって、ところどころ木屎漆で塑形してあります」

斜め後ろで、その男性が静かに口を開いた。

「お薬師さんの手の先を造り変えて、阿弥陀さんにしたなんて言われとりますけど、寺は戦国時代や江戸時代に何度も焼けとるし、昔のことでようわからんです」

私にはこの仏像が阿弥陀如来でも薬師如来でも、さして違いはない。手の印相がどうであれ、この仏像の顔から体にかけての豊かな感じは当初からのもののはずだ。体躯の厚みや重量感までもが伝わるたっぷりとした衣の辺りが特に見事。高さ百六十一センチというが、その前に座るとそれ以上の迫力を感じ、次第にこの阿弥陀如来に守られているような気がしてくる。

「よかったら近くでご覧ください。この横からの姿がいいんですよ。お腹のあたりに張りがあってね」

近づいて真横から見てみると、言われるように正面から見るよりも体躯の安定感や充実ぶりがよくわかる。

この重量感はどこかで目にしたことがある。どこの仏像だっただろうと記憶の糸をたぐり寄せていくと、以前何度か訪ねたことのある、琵琶湖の北、鶏足寺の薬師如来像が浮かんできたが、もっと似ている仏像があったとさらに思い巡らせているうち、奈良の博物館で見た元興寺の薬師如来に行き着いた。

重量感溢れる体躯や流れるような衣文、その衣を突き破るような大腿部の張りが見事なその像は、いまこうして慈恩寺の阿弥陀如来に向き合っていると、まるで同じ仏師が彫ったのかと思うほど、よく似ていると思えてくる。

亀山から鈴鹿山脈の加太峠を越え、木津川に沿って下ると、奈良に行き着く。奈良に都があった時代は、加太越えの道が主要道だったので、元興寺の薬師如来の影響が何らかの形で亀山に伝わったというのは十分考えられよう。

思わず「元興寺の薬師如来に似てますね」と言うと、「よくそう言われますけど、元興寺の方は漆を一切使っていない一木造りで、なんかこうすっきりしとりますね」とのこと。

木心乾漆造は、一般に平安時代になると用いられなくなると言われているが、慈恩寺の阿弥陀如来像はその技法で造られている。もしかするとこれが奈良時代にまで遡るものかもしれないというのは、そこからの推論だろうが、元興寺の薬師如来は平安時代初期の像なので、その影響を受けて造られたとすると時代が合わなくなる。

中央ではすでに廃れていた技法が、まだ亀山には残っていたということなのか、元興寺の仏像に似ているのは偶然なのか。いまとなってはわからないが、私には慈恩寺の阿弥陀如来は元興寺の薬師如来像に決して劣らない、むしろ大らかな感じは、元興寺の薬師如来を上回るように思える。

これほどの仏像が東海道沿いにあるのに、この街道を旅した古人たちが紀行文などにその存在を記していないのは不思議だが、

「野村に住む私らの仏さんですから」とその人が言うように、特に秘仏としていたわけではなく、人知れずお祀りされてきたためだろうか。

おもしろい話を聞いた。慈恩寺の阿弥陀如来像が旧国宝(現在は重要文化財)に指定されたのは昭和十二年(一九三七)だが、その際国宝指定のための調査対象だったのはこの像ではなく、薬師堂にお祀りされていた薬師如来像だった。ところが調査官は本堂にお祀りされていた阿弥陀如来に目を留め、こちらの方が国宝に相応しいと予定が変更されたという。何とも大らかな話だが、そもそもこの像自体が大らかな姿をしている。ここはそういう土地柄なのだろう。

慈恩寺にたたずんでいると、数年前に訪ね歩いた滋賀県湖北地方の観音堂での様子が思い出される。人知れず美しい仏像があること、それを土地の人が守っていること。両者の映像が頭の中で重なったとき、また大きく西に踏み込んだのを確信した。

 

 

 

*写真ページ「旧東海道のひとこまも更新しましたので、どうぞご覧くださいませ。

 

 

 

 

 

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