旧東海道のひとこま

47.亀山~関(写真をクリックすると拡大されます)


従是西亀山宿の表示 能褒野神社の二の鳥居から西が亀山宿でした


こちらが能褒野神社の二の鳥居 能褒野神社が旧東海道から北西に五キロ弱のところに鎮座しています 記紀によれば日本武尊は能褒野で亡くなっています 神社は日本武尊を御祭神に創建されました


亀山宿に入ると 民家の軒下にかつての屋号が掲げられています


かつての宿場の中心は商店街になっています こちらは脇本陣跡


その先には本陣跡


天台宗の遍照寺 楼門をくぐると急な下り坂で本堂は坂の下にあります 本堂は亀山藩主在国中の居館で 亀山藩政務を執る政庁でもあった旧亀山城二之丸御殿の玄関と式台の一部を移築してできたものです


亀山宿の石碑 亀山宿は亀山城の城下町の中に設けられました


亀山城址 あいにく城は修復中でしたが 亀山城は粉蝶城と呼ばれる美しい城でした


西の丸付近に残る亀山藩石川家家老職加藤家の長屋門と土蔵


京口門跡 広重は保栄堂版で亀山宿の風景としてこの付近から見た亀山城を描きました このあたりが宿場の西端でした


亀山宿を出ると野村に入ります 野村は間の宿だったところ こちらの建物は森家住宅 明治のものですが旧東海道らしい雰囲気造りに一役買っています


神亀五年(七二八)行基によって建てられたと伝わる慈恩寺


日本橋から数えて百五番目 樹齢四百年の椋が聳える野村の一里塚 江戸時代からの姿を伝える貴重な一里塚です


さらに西に進むと布気町に入ります こちらは式内社の布気皇館太(ふけこうたつだい)神社 皇館という名は垂仁天皇の時代に天照大御神が忍山に御遷幸した際大比占命が神田・神戸を献じ給うたことに由来します


落ち着いた布気の町並み


鈴鹿川に近づいてきます 大岡寺畷は鈴鹿川に沿ったおよそ二キロの直線道 芭蕉もこの畷の様子を句に詠んでいます


畷は名阪国道と東名阪自動車道の下をくぐりさらに西へ


高架を抜けると鈴鹿川と鈴鹿山脈の風景は拡がっています ここまで来ると関宿はもうすぐです
  1. 古社寺風景

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  2. 寄り道東海道

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  5. 歴史散歩

    豊中の桜塚古墳群(2)大塚古墳、御獅子塚古墳、南天平塚古墳
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