心に留まった風景

越畑と樒原

京都盆地の北西に愛宕山(標高九二四メートル)があります。飛鳥時代の大宝年間、役行者が泰澄と共に愛宕山に登り、朝日峰に神廟を建立したのが信仰の山としての始まりと言われ、奈良時代の天応八年(七八一)光仁天皇の勅命で和気清麻呂が慶俊僧都と共に愛宕山の五峰に五坊(朝日峰に白雲寺、大鷲峰に月輪寺、高雄山に神護寺、竜上山に日輪寺、賀魔蔵山に伝法寺)を建立、その後愛宕信仰が広まりました。とくに中世以降は火伏せに霊験がある神として多くの参詣者が訪れています。

愛宕山への道というと、清滝からの道が表参道とされていますが、お詣りに行くのは都方面からだけとは限りません。

平安時代に愛宕山五坊の一つ・白雲寺の慶俊の使いでたびたび丹波国を訪れた聖が、愛宕山の西側は道中に人家がなく往来に不便であることに気づきました。その聖とは、清水寺の創建にも力を貸したと伝わる雲平と竜徳で、彼らは西からの参詣者に交通の便をはかろうと、愛宕山北西部を開拓して移り住みました。

もともとそこは風光明媚なことで知られる場所。平安時代には歌にも詠まれています。

愛宕山しきみが原に雪つもり 花摘む人の跡だにもなし(古歌)

時雨つつ日数はふえれど愛宕山 樒ヶ原の色はかはらじ(堀川百首)

 

京都盆地から山一つ隔てた静かで風光明媚な山里ということから、やがて都から貴族の末臣たちが移り住むようになり、愛宕信仰の広まりと共に栄えていきました。

そこが現在宕陰とういん地区と呼ばれる越畑と、一つ山を隔てた南側の樒原です。

 

愛宕詣が一般庶民にも広まりを見せた江戸時代、丹波や丹後、摂津からの参詣者は越畑・樒原からの道を利用したことから、樒原には茶屋や旅籠などが出来、門前町として栄えましたが、明治の神仏分離で愛宕山が衰退するとまた静かな山里に戻りました。

 

現在越畑と樒原には平安時代からの見事な棚田が拡がっています。その数八百枚ほど。

冒頭の写真は樒原の棚田。武士の鎧のように見えることから鎧田と呼ばれています。田植えを終えた田圃もあれば、これからのところもあります。山から引いてきた水が勢いよく水路を伝わって流れ下っていきます。うまく写真が撮れませんでしたが、実際はもっと拡がりと傾斜のある棚田風景です。

  

おそらくこの風景は、ここが開かれた当時とさほど変わらないのではないでしょうか。

 

  

樒原の鎧田を見下ろす街道沿いに、愛宕山白雲寺の奥の院から愛宕の神々を勧進した四所神社があります。創建は戦国時代の末と伝わります。愛宕信仰の盛衰を見守ってきた当地の鎮守社。小さな神社ですが、土地に根ざした歴史を感じます。

ちなみに、越畑には江戸時代初期の河原家住宅が残っています。

藤原鎌足の子孫が改姓し当地に移り住んだと伝わるそうで、当主は幕末には大覚寺の御典医を勤めていたという名家です。静かな集落の街道沿いにあって、風格ある建物はひときわ眼を惹きます。(京都市登録有形文化財)

 

 

この棚田が黄金色に色づくころ、また訪れてみたいものです。

 

 

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