古社寺風景

廣田神社

前回投稿した西宮神社の境内に、廣田神社の境外摂社である南宮社があったように、西宮神社と廣田神社は歴史上深い関係にありました。西宮神社の創建には不明な点がありますが、漁民がえびす神(蛭子)をお祀りしていた土地に、廣田神社の別宮として浜南宮が置かれ、やがて廣田神社の隆盛に伴ってえびすのお社自体も繁栄していった、それが今の西宮神社だということかもしれません。現在の廣田神社は西宮神社から北に二キロという近距離にあります。古代人の感覚ならその距離はかなり近いものと感じられ、大きな一つの領域として捉えられていたのではないかという気がします。その関係性は、江戸後期に編纂された『群書類従』に収められている「広田社歌合」「西宮歌合」「南宮歌合」からもうかがえます。(歌合:左右に分かれた歌人が詠んだ歌を比較し優劣を競う文学遊戯。平安時代宮廷や貴族の間で流行しました。)「西宮歌合」は平安時代の大治三年(一一二八)に行われていますが、西宮とありながら開催地は西宮ではなく廣田神社社頭です。また承安二年(一一七二)広田社頭で行われた「広田社歌合」では題詠の一つが海上遠望で、海に近い南宮(浜南宮)からの風景を思わせるものがあります。廣田、西宮、南宮の名が混同されていたというより、これらは大きな一つの神域と見なされていたということだったのではないでしょうか。

ちなみに西宮という地名も、中世廣田神社が都から見て西にある重要なお社ということから西宮と呼ばれていたことに由来するようです。もとは廣田神社が西宮だったものが、えびす信仰の隆盛によってえびす社の力が増したことで、えびす神をお祀りしていた方のお社が西宮と呼ばれるようになった(現西宮神社)のかもしれませんが、本来西宮と呼ばれた廣田神社には宮とされる歴史があったということでもあります。

 

古代の人の流れを少しでも感じることができればと、西宮神社と縁の深い廣田神社を訪ねました。

一の鳥居をくぐると、整備された松並木の参道が北に向かって続いています。

五百メートル近くある参道は整備されて間もないこともありますが、土足で歩くのが憚られるほどきれいに清掃されています。廣田参道を美しくする会というのがあり、有志の方たちが月に二回清掃手入れをされているのだそうです。

真新しい二ノ鳥居の先には注連縄を張った古色の注連柱。鳥居の由来とされる注連柱があることで、当社の歴史が早くも感じられます。

 

さらにもう一つ注連柱(冒頭の写真)をくぐると、広々とした境内に至ります。

社殿は昭和の再建とはいえ、威厳のある佇まいが感じられます。ここにお祀りされているのは撞賢木厳之御魂天疎向津媛命つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと、天照大神の荒魂とされています。向かって左の御脇殿には諏訪健御名方大神すわたけみなかたのおおかみ高皇産霊大神たかみむすびのおおかみ、向かって右の御脇殿には住吉大神と八幡大神がそれぞれお祀りされています。

『日本書紀』巻第九、神功皇后摂政元年二月に、次のような記述があります。

皇后きさきみふね、直に難波を指す。時に、皇后の船、海中わたのなかに廻りて、進むこと能わず。更に務古水門むこのみなとに還りましてうらふ。是に、天照大神、をしへまつりてのたまはく、「我が荒魂あらみたまをば、皇后おほみもとに近くべからず。まさに御心を広田国ひろたのむにに居らむべし」とのたまふ。即ち山背根子やましろのねこむすめ葉山媛はやまひめを以ていははしむ。   岩波文庫『日本書紀(二)』

神功皇后が朝鮮から帰還の際、神勅により山背根子の娘の葉山媛が天照大神の荒魂を広田の地にお祀りしたということで、これが廣田神社の創建由来になっています。ちなみにこの記述の後、活田(生田)、長田、大津渟中倉之長峡(住吉)についても触れられており、各社もこれを創建由来としています。

もちろんこれがそのまま史実と結びつくわけではありませんが、この由来もあって朝廷から篤く崇敬され高い社格を誇りました。

元の鎮座地は高隈原と呼ばれる高台で、後に少し高台から下った御手洗川畔に遷され、さらに水害のため享保年間に現在地に遷されたとのことです。高隈原はここから一キロ少し北の五月ヶ丘付近のようですが、その北には甲山があります。甲山からは祭祀用の銅戈が見つかっているように、古来信仰の対象でしたので、廣田神社は甲山を神奈備として奉祀したことに起源があるのかもしれません。

社殿周辺の広大な土地が無償で西宮市に貸し出されて広田山公園になっており、神社と地続きになっています。園内にはコナラ、アラカシ、アカマツ、ヒノキといった木々が茂り、多くの野鳥も生息しています。社殿の南側はコバノミツバツツジの群生地で、いまの時期ピンクの花で覆われています。

 

この日、何本かの桜も花開いていて、ミツバツツジとともに園内を賑わせていました。

 

戦前まで廣田神社は瀬織津姫を御祭神としていたそうです。神話において黄泉国から帰還した伊弉諾が禊をした際生成された神のうち、水によって穢れを清める役割だったのが瀬織津姫です。水に関係することから水の神、瀧の神、龍神などに置き換えられることもありますし、海の神とされたこともある神様です。鎌倉中期に編纂された『倭姫命世記』に”皇大神宮の荒魂のまたの名を瀬織津姫という”とあることから、天照大神の荒魂=瀬織津姫とされるようになり、廣田神社もその流れを受けたのかもしれませんが、瀬織津姫という御神名を聞いて廣田神社と海との繋がりを連想しました。廣田神社の北にある甲山は独立した山なので遠くからでもその存在に気づきます。現在のように高い建物がなかった時代には、海岸からも見えたのではないかと想像しますし、そうであれば古代航海する人にとっても良い目印になったのではないでしょうか。西宮神社の蛭子も、原型は海の向こうからやってきた漂着神です。この一帯を考えるのに海の存在は無視できないように思います。

 

 

 

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