天気がよかったら明神からさらに足を延ばし徳沢か横尾辺りまで行きたいところですが、雨は一向に止む気配がなく、ここで折り返すことにしました。行きは梓川の左岸を歩いたので、帰りは右岸の道です。こちらは左岸の道に比べると起伏があり、篠突く雨の中足を滑らせないように歩くのが精一杯で、周りの景色に目をやる余裕はありませんでしたが、ときおり立ち止まると林の足下には熊笹が生い茂り、枝の隙間から見える梓川は濁流を巻き上げ波打つように流れていました。木道が目に入ると、ぬかるみに足を取られずに済むとほっとしたのを思い出します。
山から流れてくる小川は、これまでに降った雨で勢いを増しています。
足下を濡らしながら歩き続けること小一時間ほど。雨はいつの間にか小降りになっていました。そんなとき目に飛び込んできたのは豊かな水を湛えた湿原でした。岳沢湿原です。
岳沢から流れてくる清流と善六沢が合流する辺りにできた湿原です。
立ち枯れの木がここではまだ数多く残っています。大正池も昔はこのように立ち枯れの木が水中に林立していました。水面から細い針金が何本も突き出たような独特の光景。実に絵になります。
少しずつ雲が薄れ、六百山が姿を現しました。この山の全貌を望むには、岳沢湿原からが一番のようです。
晴れていれば透明な蒼い水に周りの景色が映り込み、それはそれは美しいそうですが、この日のように空や水に蒼さがなくても立ち枯れの木々が創り出す風景は静けさに満ち神秘的でした。
ほぼ雨が止み、光が感じられるようになると、水の透明度も増してきます。湿原の一画の水たまりが、明るくなってきた空を映し出しています。そっと水面をのぞき込むとイワナが泳いでいました。
上高地は穂高連峰を望む山岳地帯にありますので、主役は穂高の山々です。その風景は雄大で見る者を圧倒しますが、私にはどちらかというと水が強く印象に残りました。釜トンネルを抜け最初に目にした青緑の梓川に始まり、大正池、田代池、田代湿原、清水川、明神池、岳沢湿原、名も無い小さな清流や水たまり、そして二日目の降りしきる雨…。天から降る雨が山に蓄えられ、それが集まって川となり、湿原も生み出すという自然の循環をここで目の当たりにし、水があることで美しさと清らかさを増した風景が、ときに神々しさを湛え、忘れ得ぬ光景を目に前にいくつも残してくれたためです。
考えてみれば、上高地は水に縁の深い土地で、ここには壮大な水の記憶があります。一万二千年前の縄文時代早期、焼岳火山群の一つ白谷山の噴火によって古梓川の水が堰き止められ突如巨大な湖(古上高地湖)が生まれ、その湖は六千年もの間豊かに水を湛えていたのです。古上高地湖は現在の釜トンネル付近から徳沢付近まで拡がっていたといいますから、いま私たちが上高地を訪れ散策している場所はすべて湖だったことになります。それが今から五~六千年前の縄文時代前期、地震によって流出口が決壊し、巨大洪水となって現在の安曇野市豊科や松本市梓方面に流れ出し、古上高地湖の水は突如として消えました。一瞬にして現れた大量の水がまた一瞬にして消えた後、そこに現れたのは田代湿原のような平坦な土地でした。その辺りは長い歳月を経た大正時代に再び焼岳噴火によって変化し、(二)で触れたように大正池や田代池を生みました。
上高地にいると、目の前の美しい風景が地球の底知れぬ力によって生み出されたものであるということを強く感じます。上高地に惹かれるのは、壮大な国土生成の記憶があちらこちらに湧出しているからかもしれません。
足下にシロバナエンレイソウ(ミヤマエンレイソウ)を見つけました。花が咲くまで十年ほどかかり、寿命も十五年近くあるようです。この花にあやかり、健康寿命を少し延ばすことができたら、上高地をまた訪れたいと思っています。