旧東海道のひとこま

44.四日市~石薬師(写真をクリックすると拡大されます)


三滝川に架かる三滝橋を渡ります 江戸時代は土橋でした


三滝橋を渡ると四日市名物なが餅の笹井屋本店があります 笹井屋は創業天文十九年(一五五〇)藤堂高虎もお気に入りだったそうです もちろん東海道の旅人にも人気でした


四日市では宿場の名残がないばかりか 宿場だったことを示す表示もありません 近藤建材のあたりに脇本陣があったようです


四日市には本陣が二軒ありました 肥料点のある辺りに黒川本陣がありました その先の交差点付近に清水本陣があったようです


このあたりの旧東海道は南へ 江戸時代の道標がかろうじて宿場町の歴史を伝えています


浜田町に入ります 作家丹羽文雄さんはここ崇顕寺の生まれでした


中浜田町のあたりから 古い民家が見られるようになります


赤堀に残るこちらの建物は旧鈴木製薬所 現在当主は十一代目で薬局を営んでいます 嘉永五年(一八五二)築


日永に入ります この先伊勢街道と分岐する追分があるように 江戸時代日永は間の宿として賑わいました


日永の一里塚跡 日本橋から数えて百番目の一里塚です


伊勢街道との分岐点 日永の追分です 国道を直進すれば伊勢街道 旧東海道は追分を南西方向(右)へ


追分には伊勢神宮の鳥居が立っています


旧道を南西方向へ 小古曽の町にはお寺や神社が点在しています


内部川を渡り采女町に入ります 采女とは古代朝廷に仕え天皇の食膳に奉仕した下級女官のことで 地方豪族の娘がその任に当てられました そうした歴史を教えてくれる地名です


杖衝坂という急坂に入ります 距離は短いですが勾配が急なこの坂 日本武尊が東征の帰り極度の疲労のために腰の剣を杖にして登ったということからこの名がつけられました


芭蕉も伊賀への帰途杖衝坂で落馬し次のような句を詠みました 「歩行かちならば 杖衝坂を落馬かな」


坂を上りきると血塚社があります 傷ついた日本武尊がここで血を洗い流したという謂われを持っています


御在所岳 雨乞岳 仙ヶ岳といった鈴鹿山脈の山々が遠くに望めます


国道一号線に合流 合流してすぐのところに采女の一里塚跡があります 日本橋から数えて百一番目の一里塚です


再び旧道へ 南西方向へ進みます


静かな旧道 ここまで来ると次の石薬師宿はもうすぐです
  1. 古社寺風景

    融神社
  2. 寄り道東海道

    蔦の細道
  3. 歴史散歩

    池田の古墳(1)娯三堂古墳と池田茶臼山古墳
  4. 祭祀風景

    住吉祭 神輿御渡
  5. 古社寺風景

    光明寺
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