旧東海道のひとこま 

32.新居~白須賀(写真をクリックすると拡大されます)


新居町駅を過ぎると程なく浜名橋へ 今切れができる以前浜名湖は浜名川によって海へと通じていました 浜名川河口は白砂青松の美しい風景が拡がり浜名橋は多くの歌人らによって歌にも詠まれました


橋を渡ると新居の関所が見えてきます 主要街道に置かれた関所で建物が現存するのはここだけです 国の史跡に指定されています


関所を無事通過すると新居宿です こちらは旅籠だった紀伊國屋 現在は資料館になっています


明治になり関所の機能が失われると 関所周辺は官庁街へと変わり 一歩裏に入ると歓楽街が続いていました こちらは芸者の置屋だった小松楼 現在は交流館として開放されています


こちらは本陣跡 新居には本陣が三軒ありました


旧東海道は本陣前のT字路を左折し南に向かいますが 西の通りには寺社が並んでいます こちらはそのうちの一つ隣海院


南に向かう旧東海道沿いに また別の本陣跡


新居の一里塚跡 日本橋から数えて六十九番目の一里塚です


道が鈎型に曲がったところに棒鼻跡の表示 ここが新居宿の西端でした 大名行列がここで先頭(棒先)を整え宿場に入っていったことから棒鼻と呼ばれます


南下した旧東海道は現東海道に突き当たり右折し西へ向かいますが その突き当たり付近は橋本といって中世まで宿場町たったところです


西に向かう旧東海道 久しぶりの松並木が続きます


進行方向右手は山が続いています その山腹に紅葉寺跡の表示 源頼朝が橋本に宿泊した際寵愛を受けた長者の娘が後に出家して建てたと伝わるお寺で 後に足利義教が富士遊覧の際ここに立ち寄り紅葉を鑑賞したことから紅葉寺と呼ばれるそうです


左手には田圃が拡がり気持ちのよい道です


立場跡 休憩できる茶屋がこのあたりにありました


静かな旧道が続きます すぐ右(北)には山 左(南)は五百メートルほど行けば海 もともと白須賀宿はこの先の元町に置かれていましたが 津波による被害で高台に移転しました


一里塚跡と高札場跡 日本橋から数えて七十番目の一里塚です


内宮神明神社 創建時期は不明ですが歴史を感じる神社です 伊勢神宮へはここから海を渡ってほぼ一直線です


蔵法寺は平安時代の創建と伝わる古刹 徳川家康が幼少時代に今川家の人質として駿府に送られる際宿泊所に使われたことから、後に将軍家の宿泊施設に使われました この先で旧東海道は右(北)に曲がり潮見坂という急坂を上ります 上ったところに移転してできた白須賀宿がありました
  1. 古社寺風景

    屯倉神社
  2. 祭祀風景

    千本ゑんま堂と千本釈迦堂にて六道参り
  3. 寄り道東海道

    垂水頓宮跡
  4. 心に留まった風景

    甘樫丘
  5. 寄り道東海道

    権現山の合戦の舞台(幸ヶ谷公園)
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