名鉄御油駅から直線距離にして東に五百メートルほどのところに、平安時代創建と伝わる西明寺(曹洞宗)があります。
明治の御雇外国人だった医師ベルツ博士の妻・花は、御油宿の戸田屋の出身でしたが、西明寺に花が建てたベルツ博士の供養塔があるというので立ち寄ってみました。
平安時代中期の寛和年間(九八五~九八七)三河の国司として赴任した大江定基が、赴任中に妻を亡くしたことから、東の岡に庵を結び六光寺としたのが始まりです。定基は任期がくると愛染明王像を当地に残して都に帰り、恵心僧都源信に師事した後、修行のために渡った宋で客死しました。
その後鎌倉時代に、諸国を巡っていた執権北条時頼が、風光明媚な当地を気に入りしばらく留まっていましたが、去るにあたり不動明王像を残していかれたことから、西の岡に堂が建立されました。北条時頼が晩年出家して最明寺入道と呼ばれたことにちなみ、寺の名も最明寺と改められましたが、戦国時代にはかなり荒廃してしまいます。
戦国時代の永禄五年(一五六二)徳川家康が八幡砦における今川氏との戦いの際当寺に立寄り、空腹をしのいだということがありました。後に家康はそのときの恩から、弥陀の浄土にちなみ、最を西に改めさせ、西明寺となったと言われています。
江戸時代初めに山門や本堂が焼失しますが、その後再建されていますので、現在の諸堂はいずれもそれ以後のものです。
こちらが昭和五年に建てられたベルツ博士の供養塔です。
自然の地形を利用した庭園が見事でした。