古社寺風景

三島鴨神社と鴨神社

大阪府吹田市、茨木市、高槻市、島本町、摂津市は古代三島と呼ばれた地域です。

高槻市の名神高速道路の南に、継体天皇陵とされる今城塚古墳がありますが、名神を挟んだ北には弁天山古墳群と呼ばれる百メートル規模の前方後円墳三基を含む三世紀後半から五世紀中頃にかけての古墳群があります。古墳からは三角縁神獣鏡や勾玉など多くの副葬品も見つかっていて、これは当時の三島地域を統治していた三島県主一族のものだろうとされています。弁天山古墳群は長期にわたり大王家と強い結びつきを持ちながら勢力を保ち続けた首長の存在を示していますが、それを可能にしたのは首長の力に加え、三島が水陸両路において交通の要衝だったことも無関係ではありません。今回取り上げる三島鴨神社の創建にも三島地域を統治していた三島県主が関係しているのかもしれません。

三島は、大宝律令後に島下郡と島上郡に分かれましたが、『延喜式』神名帳によると三島鴨神社は島下郡あったとされています。現在その論社として、高槻市三島江にある三島鴨神社と高槻市赤大路町にある鴨神社の二社が挙げられています。『日本の神々』(白水社)では、どちらが式内社の三島鴨神社だったのか未だ確定できていないけれど、鴨神社があるのは島上郡なので、三島江の三島鴨神社の方ではないかとしていますが、三島江の三島鴨神社の略年譜をよく見ると、古墳時代後期に赤大路に三島鴨神社、馬場に溝杭神社を作ったとあり、三島鴨神社は赤大路に創建されたことを認めた形になっています。島上郡か島下郡かということについても、郡の境界付近にあった場合、誤差が生じるということもありそうですし、三島鴨神社は当初御嶋の社と称し(幾島大明神と呼ばれてもいたようです)、三島鴨神社となったのは元禄年間であるとも言っています。『延喜式』神名帳にある三島鴨神社が、赤大路にある鴨神社なのか、それとも三島江にある三島鴨神社なのかは、以上のことからみれば赤大路の方であった可能性が高いように思えますが、御嶋の社が元禄年間に三島鴨神社になったのも、高槻藩主の働きかけによるということですから、政治的な力によって式内社にしてしまうことも可能ということになり、本来の式内社である三島鴨神社は論社とされている二社のうちどちらなのかということを追究するのはあまり意味がないような気がしてきます。

それよりも長らく三島鴨神社の論社と名乗ってきた二社の鎮座地や周辺の地勢などから当地の古の様子に思いを巡らせ、弥生時代から古墳時代にかけての三島に関心の目を向けるほうが現時点では意味があるのではと思っています。

具体的にそれぞれの神社を見ていきます。

三島鴨神社の御祭神は大山祇神おおやまつみのかみと事代主神の二柱。仁徳天皇の時代に淀川鎮守の神として中州に大山祇神をお迎えしお祀りしたことに始まると伝わります。慶長三年(一五九八)築堤工事により現在地に遷されたとのこと。

 

もう一方の鴨神社の御祭神は大山祇神と伊弉諾尊、伊弉冉尊、鴨御祖大神かものみおやのおおかみの四柱です。創建については不詳ですが、三世紀頃に葛城系の鴨氏によって創建されたとのことです。本来は鴨御祖大神をお祀りするお社だったのでしょう。

 

現在は両社とも大山祇神を主祭神としてお祀りしていますが、その神様について『伊予国風土記』逸文(角川ソフィア文庫版)に次のように書かれています。

御嶋

伊予国の風土記に曰ふ。乎知をちこほり御嶋みしまいます神の御名は大山積神、一名またのなは和多志大神なり。是の神は、難波高津宮に御宇あめのしたしらしめしし天皇すめらみことの御世に顕れましき。此神、百済国より渡り来まして、津国つのくにの御嶋に坐しき。云々。御嶋と謂ふは、津国の御嶋の名なり。

大山祇神(大山積神)は、愛媛県今治市の大山祇神社や静岡県三島市の三嶋大社の御祭神として知られます。記紀神話では伊弉諾尊と伊弉冉尊の子ということですが、先の『伊予国風土記』逸文によると、大山祇神は仁徳天皇の時代に百済から渡ってきた渡来神であり、和多志の神、つまり渡し、渡船、航海の神の性格を持ち、初め摂津の御嶋に鎮座されたことになります。津国は摂津国のこと。そこに御嶋があるというのは、古代の難波や住吉が淀川や大和川からの土砂が堆積し難波八十島と呼ばれていたことを伝えています。ここから見えてくるのは、朝鮮半島から渡ってきた人々が瀬戸内海を経て難波の地に上陸し、湿地帯に治水を施し開発していった歴史で、三島は御嶋に由来することがうかがえます。古墳群によってその存在と勢力を伝えている三島の首長は、そこに源があるのでしょうか。ちなみに三島鴨神社では、当地から大山祇神社や三嶋大社に大山祇神の御神霊が遷されたとしています。瀬戸内海航路で東進した場合、今治の大山祇神社に鎮座する方が先のような気もしますが、順番はともかく、大山祇神を信仰する人の動きがよくわかる話です。

 

三島江の三島鴨神社でお祀りしているもう一柱の御祭神事代主神は葛城の鴨族が祖神として信仰している神様です。元禄年間に三島鴨神社と称したというなら、御祭神に事代主神が加わったのもその時なのでしょうか。それについては推測の域を出ませんが、当地に残されている葛城鴨族の足跡を事代主神の名を借りて語り継いでいるということかもしれません。

三島鴨神社のある三島江に南接する柱本の淀川河川敷から、縄文時代から明治にかけての人の暮らしの営みを伝える遺跡(柱本遺跡)が見つかっています。弥生時代の土器も多く含まれているようですから、淀川周辺に鴨族がいたとしても不思議はありませんが、より鴨族の存在を感じさせるのは、三島鴨神社から西に五キロほど内陸に入ったところにある東奈良遺跡という弥生時代から中世までの大規模集落遺跡です。こちらの工房跡からは銅鐸の鋳型が多数出土し、そこが奈良県の唐古鑓遺跡と並び、当時の日本列島における最大規模の銅鐸の工房だったことがわかっています。先日投稿した川西の鴨神社近江八幡の賀茂神社がそうだったように、銅鐸と鴨族の存在は密接な関係があるようですから、東奈良遺跡周辺の内陸(高台)に鴨族が暮らしていた可能性がありそうです。

高槻市赤大路の鴨神社は、この東奈良遺跡から北東に約四キロほどのところに鎮座しています。三島江の三島鴨神社からは北西に五キロ近く離れ、完全に内陸ですが、すぐ西には淀川の支流の安威川が、すぐ東には芥川や芥川の支流の女瀬川が流れていますので、水運には便利です。また赤大路の鴨神社から目と鼻の先にある磯良神社は、海人族である安曇氏の祖神磯良大神をお祀りしていますが、琵琶湖西の高島市に安曇川や安曇川という地名があり、そのすぐ隣に鴨川、あるいは鴨稲荷山古墳があるというように、海人安曇族と鴨族が近接したところに足跡を残している例がありますから、安威川あるいは芥川を通じ海運に長けた安曇氏に帯同し拠点を広げていった鴨族の姿を想像したくなります。事実、鴨神社の鎮座地の小字は鴨林でした。

つまり弥生時代頃に葛城系の鴨族が当地に根を下ろし祖神をお祀りしたのが赤大路の鴨神社で、古墳時代に百済から渡来した大山祇神を信仰する人たちがその神様を三島神社としてお祀りした後、広範囲に勢力を広げ王権との関わりを深めやがて県主になった、その三島一族が三島の神と鴨の神を合わせ祀ったのが三島鴨神社なのではないかと想像します。ちなみに鴨神社のある赤大路の西隣は三島丘という地名です。三島勢力の拡がりを感じさせます。

実際の境内の様子はといいますと、三島鴨神社の周辺は工場や配送センターが多く、幹線道路は常に多くの車が行き交っていますが、幹線道路をはずれ淀川に向かって進むと青々とした田圃が続くのどかな風景に変わります。

 

 

三島江は歌枕の地。水路に沿って三島江を詠んだ歌がいくつも掲げられています。

参道は西に向かい

 

大鳥居や社殿は南向きです。

 

三島鴨神社は戦災で社殿を焼失しています。現在の建物は戦後の再建です。

 

 

 

赤大路の鴨神社は国道一七一号線から少し北に入ったところに鎮座しています。

 

こちらも社殿は昭和四十年代の再建ですので新しいものですが、住宅街にあるとはいえ、境内には木々が茂り古社の雰囲気を伝えています。

 

今回は鴨族と三島一族を別の系統としましたが、両者はイコールであるとする説もあるようです。その辺りは何ともわかりかねますが、三島一帯に古代の日本の成り立ちを知る上で重要な歴史が堆積していることは確かですので、一つずつ訪ね、考えていけたらと思っています。

三島には他にも、鴨氏と当地の歴史をうかがわせる神社がありますので、いずれまた。

 

 

 

 

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