寄り道東海道

広重の住居跡

庶民の間でも旅が盛んに行われるようになった江戸時代、東海道をテーマにした二つの傑作が生まれました。一つは十返舎一九の『東海道中膝栗毛』、もう一つは歌川広重の浮世絵『東海道五拾三次之内』です。広重の『東海道五拾三次之内』は、一般に保永堂版東海道と言われるもので、広重自身の出世作でもありました。

保永堂版東海道の制作は天保四年(一八三三)、翌年売り出されるとたちまち人気を博し、広重は風景画家としての地位を確立しました。

広重の描く五十五カ所は、江戸時代の東海道の風景ばかりか、旅風俗、庶民の暮らしといったものも織り込まれていますし、季節や時間帯もどれ一つとして同じものはなく、実に変化に富んでいます。

保永堂版が大成功を収めた後、広重は行書東海道、隷書東海道、竪絵東海道など、それぞれ違った切り口で東海道を描きました。東海道にはいくらでも調理できる材料があったということもあるでしょうが、広重という人は心底この街道が好きだったのでは…と思います。

そんな広重が最晩年を過ごしたのが、日本橋にほど近いこの場所でした。現在の東京都中央区京橋一丁目、中央通りと呼ばれている旧東海道から一歩東に入ったところで、いまはご覧のようなビルの一角です。

 

関連記事

  1. 寄り道東海道

    諏訪原城跡

    金谷の石畳道を上り一息ついたあたりに、諏訪原城跡を示す案内表示が立って…

  2. 寄り道東海道

    岩屋観音

    二川の西に岩屋緑地があります。二川宿を出た旧東海道は火打坂の交差点を北…

  3. 寄り道東海道

    常楽寺

    長寿寺の北西一キロほどのところにあるのが、長楽寺同様阿星山五千坊の一つ…

  4. 寄り道東海道

    無鄰菴

    「寄り道東海道」の園城寺で琵琶湖疎水について触れたように、明治二十三年…

  5. 寄り道東海道

    長寿寺

    石部の南六キロほどのところにある標高六九三メートルの阿星山の北東麓に、…

  6. 寄り道東海道

    将軍塚

    桓武天皇が長岡京から平安京に都を遷すことを宣言したのは、長岡京遷都から…

最近の記事

連載記事

  1. 登録されている記事はございません。

アーカイブ

  1. 古社寺風景

    龍田大社
  2. お知らせ

    毎日新聞に『東海道五十三次いまむかし歩き旅』の書評が掲載されました
  3. 古社寺風景

    鐸比古鐸比賣神社
  4. お知らせ

    日本近代文学館館報に小文が掲載されました
  5. 心に留まった風景

    旧閑谷学校
PAGE TOP