旧東海道のひとこま 

23.藤枝~島田 (写真をクリックすると拡大されます)


藤枝宿は街道に面した二つの異なる郡に属するいくつかの町から構成されていました 現在は長い商店街 町割りはほぼ当時のままです


このあたりは白子町 伊勢国の白子に住む小川孫三が 本能寺の変の際岡崎に逃げる家康を助けたことから当地に住むことを許され 諸役を免除されました


戦の無常を感じて出家した熊谷直実により建立されたと伝わる蓮生寺


藤枝には本陣が二軒ありました こちらは上伝馬町の本陣跡


藤枝は田中城の城下町でもありました 家康が駿府に隠居すると田中城は将軍のための宿泊施設として整備されます 家康は田中城で鯛の天ぷらを食べて腹痛を起こした話は有名です


正定寺の見事な松は田中城主だった土岐丹後守頼稔が大坂城代に出世した記念に寄進されたものと伝わります


文中で触れた鬼岩寺 行基の開基と伝わる古刹です


瀬戸川に架かる勝草橋を渡ります 藤枝宿はこの川のあたりまででした


瀬戸川を渡ってすぐのところに常夜燈と一里塚跡の表示 志太の一里塚は日本橋から数えて五十番目の一里塚でした


青木の交差点を過ぎると旧道に入ります このあたりの旧東海道は南西方向に進みます


江戸時代の寛永十二年田中城主水野忠善が、大井川の洪水から領内を守る為に築いた堤防 千貫の費用がかかったことから千貫堤と呼ばれました


古東海道蹟 中世の東海道は現在の東海道より北の山を抜ける道でした


やがて東海道本線に接近


島田市に入ります


この先には江戸時代土橋だった栃山橋がありました このあたりまで来ると島田宿はもうすぐです
  1. 寄り道東海道

    伊賀八幡宮
  2. 寄り道東海道

    無鄰菴
  3. 古社寺風景

    長谷寺
  4. 心に留まった風景

    備前焼の里 伊部
  5. 古社寺風景

    大聖観音寺
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