旧東海道のひとこま 

12.三島~沼津 (写真をクリックすると拡大されます)


伊豆国一宮の三嶋大社 広重が保永堂版で描いた三島宿は朝靄のかかる三嶋大社前の風景でした


国の重要文化財になっている拝殿 江戸時代末期の安政の大地震後に再建されています


三嶋大社を過ぎるとほどなく宿場の中心に入ります こちらは世古本陣跡


銀行や商店が並ぶ旧道


こちらはもう一つの本陣 樋口本陣跡


三島は水の都 富士山からの伏流水が湧き水となって町の至るところに流れています


この下を流れる源兵衛川は三島駅近くにある楽寿園内の池を水源とし三島の町を潤しています


源兵衛川沿いは気持ちのよい散策路になっています


小松宮彰仁親王の別邸として明治二十三年に造営された楽寿園 園内のあちらこちらで三島溶岩流が露出しています 庭園は国の名勝


伊豆箱根鉄道線の三島広小路駅前を通過


橋の下を流れる境川に沿って 千貫樋と呼ばれるコンクリート製の樋が架けられています 楽寿園内の湧水を灌漑用水として送るために設けられたもので 最初の樋は北条氏康によって架けられたと言われています


千貫樋の先に常夜燈が残っています おそらく日本橋を出てから初めて目にする常夜燈です


宝池寺前にある一里塚 日本橋から数えて二十九番目の一里塚です


街道をはさんだ向かいにある玉井寺の一里塚 宝池寺の一里塚と対になっています 宝池寺のほうは復元されていますが こちらはほぼ当時のまま


息をのむほど美しい柿田川湧水


まもなく黄瀬川という地に鎮座する八幡神社は 源頼朝が富士川の合戦でこのあたりに布陣した際勧進したと伝わり 境内には頼朝と義経が対面したときに腰掛けたと伝わる石があります


こちらが対面石と呼ばれるその石


黄瀬川を渡ります 黄瀬川付近には中世の宿駅がありました


狩野川沿いの殺風景な道に平作地蔵があります これは沼津の平作が娘婿の仇の行方を聞き出すために自害したという実話に由来するもので その話はその後浄瑠璃などに取り入れられ日本三大仇討ちとして知られるようになりました


これほど交通量が多い道は久しぶり


交通量の多い県道から川郭通りとも呼ばれる旧道に入ります 沼津に到着です
  1. 祭祀風景

    みたらし祭
  2. 寄り道東海道

    水口城跡
  3. 寄り道東海道

    田子の浦
  4. 寄り道東海道

    浜松城
  5. 寄り道東海道

    将軍塚
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