旧東海道のひとこま 

22.岡部~藤枝(写真をクリックすると拡大されます)


岡部川に接近 ここから先が岡部宿でした


石段の上に十石坂観音堂 江戸時代後期に建てられた入母屋造り瓦葺きの観音堂です


今は何の変哲もない道ですが かつては枡形になっていました


天竜川をわたる際西行が乱暴を受けたため 弟子の西住がその人を懲らしめたところ 西行は雲水にあるまじき行為として西住を破門 形見として笠と筆跡を渡しました 失意の西住は西行を追いますが 岡部で病に倒れ「西へ行く雨夜の月やあみだ笠、影を岡部の松に残して」との辞世を西行から渡された笠に書き残し亡くなってしまいました 帰途岡部の外れの小さなお堂で休んでいた西行が 堂の戸に掛けられていた西住の笠を見てその死を知り 「笠はありその身はいかになりならん あはれはかなき天の下かな」という歌を残して岡部を去りました 笠懸の松とはそのような謂われの松ですが昭和四十九年頃に枯れてしまい 今は二代目の松 その根元に西行の小さな墓があります


復元された大旅籠柏屋 岡部宿に関する展示がなされています


柏屋の隣に本陣がありました このときは何もありませんでしたが三年後には門や塀が復元されていました いまはさらに整備されているはず


旧道に入ると目に入る小さな石橋 小野小町姿見の橋と呼ばれています 東国へ旅の途中岡部に立ち寄った小野小町は この橋から夕陽に映える山の風景を楽しんでいましたが ふと川に目を落とすと長旅で疲れ果てた自分の姿が映っており嘆き悲しんだと伝わります


こちらは高札場跡


静かな旧道です 岡部からの旧東海道は南西方向に進みます


風格あるこちらのお宅は 某有名サッカー選手のご実家だとか 岡部は現在藤枝市 藤枝はサッカーが盛んな町です


宿場時代の建物は残っていませんが こうした表示がところどころに置かれています


木食仏のある光泰寺


旧道から県道へ しばらく県道を歩いていると岡部宿の表示 岡部宿はここまででした


旧道に入ると岩村藩領傍示杭跡 「是従西巌村領横内」と書かれています 享保二十年から明治維新までの間横内村が巌村藩領だったことを示すものです 巌村藩は美濃を拠点としていましたが駿河国にも飛び地を持っていました


横内ではかつての屋号を掲げた家を見かけます


仮宿では松並木が残っています 岩村藩領傍示杭跡「従是東巌村領横内」の表示が立っています


仮宿の交差点を過ぎると今度は「是従西田中領」の表示 藤枝といえば田中藩 藤枝が近づいてきた感じがします


鬼島の一里塚跡 日本橋から数えて四十九番目の一里塚です


須賀神社の大楠は樹齢およそ五百年 県の天然記念物です


須賀神社の裏手の高台には かつて葉梨川の淵で鐙の形をしていたことから鐙ヶ淵と呼ばれていました 崖上には法然上人開基と伝わる観音堂が建っています


成田山の看板が見えてきました 千葉にある成田山の別院です ほぼ藤枝宿に到着 長い道のりでした
  1. 祭祀風景

    狸谷山不動院 火渡り祭
  2. 古社寺風景

    禅定寺
  3. 東海道の祭

    大津祭
  4. 祭祀風景

    京都ゑびす神社の十日戎
  5. 古社寺風景

    野間大坊
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