旧東海道のひとこま

40.知立~鳴海(写真をクリックすると拡大されます)


知立宿に入る手前に見事な松並木が残っています 市の東部山町から牛田町に至るおよそ五百メートルの松並木で 江戸時代には全国から四百から五百匹の馬がここに集められ馬市が開かれました 広重も保永堂版の知立で松並木での馬市の風景を描いています


静かな知立の旧東海道


商店街に問屋場跡の表示


旧東海道沿いではなく県道五十一号線沿いに本陣跡の表示 知立の本陣は一軒でした


知立城跡 知立神社の神官で当地の豪族だった永見氏の居館がここにありました 永見氏は桶狭間の戦いで今川義元に付いたため織田信長に攻められ落城 その後天正年間には御殿が建てられ、江戸時代には将軍上洛の際の休憩所として使われました


旧東海道に知立神社の表示 知立神社は旧東海道の東百メートルほどのところにあります


知立神社に近い旧東海道沿いには平安時代の嘉祥三年(八五〇)創建と伝わる総持寺があります この寺は天台宗の高僧円仁が知立神社の神意に感謝し開いた神宮寺です


遭妻川を渡り国道一号線に合流 ほどなくして刈谷市に入ります


東海道から東に二百メートルほどのところに三河三弘法の一つ 密蔵寺があります


国道一号線をしばらく北西に歩いた後 左の旧道に入ります


旧道の両側にほぼ原型を留めた一里塚が残っています 阿野の一里塚 日本橋から数えて八十六番目の一里塚です 国指定史跡


名鉄前後駅前を通過します


しばらく旧道を北西に進むと国道一号線に合流 名鉄の中京競馬場前を通過します


国道一号線を南に少し入ったところに桶狭間古戦場跡があります


古戦場跡向かいには高徳院 お寺は明治になってから高野山から移されたものですが 境内には今川義元の仏式墓所や本陣跡の石碑などがあります


再び旧道に入ります 旧道に入るとそこは間の宿だった有松です 町並みが見事


見応えのある旧道は一、五キロほど 正面奥に見えるのは名古屋第二環状自動車道で有松宿はこの手前まででした


往路にはまだ工事中だった一里塚跡 復路のときにはこのように完成していました 日本橋から数えて八十七番目の一里塚跡です 次の鳴海宿はもうまもなくです
  1. 古社寺風景

    新屋坐天照御魂神社(一)
  2. 寄り道東海道

    沼津漁港
  3. 祭祀風景

    五山送り火
  4. 古社寺風景

    伊居太神社(池田)
  5. お知らせ

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