旧東海道のひとこま 

37.赤坂~藤川(写真をクリックすると拡大されます)


御油の松並木を抜けるとすぐに赤坂宿見付跡の表示 ここから先が赤坂宿でした


見付を過ぎて程なく関川神社の大きな楠木が見えてきま 関川神社は長保三年(一〇〇一)赤坂の長者が三河の国司大江定基の命で創建した神社 境内に芭蕉の「夏の月 御油より出でて 赤坂や」の句碑があります


現在は静かな住宅街 ところどころ古い家が残っています


進行方向左手には宮路山が見えています 旧東海道はこの山裾を北西方向に進みます


旧東海道から宮路山に向かう途中にある宮道天神社 神社については連載文中で触れています


本陣跡 建物はありません


軒下に「曲物製造卸問屋」の看板を掲げた尾崎屋 歴史を感じさせる建物です


赤坂宿で唯一残る江戸時代の旅籠「大橋屋」 詳しくは連載本文をご覧ください 平成二十九年から三十年にかけて保存整備工事を行っています


赤坂薬師と石像百観音の霊場で知られる浄泉寺


浄泉寺境内にある立派な蘇鉄 広重が保永堂版赤坂宿で描いた蘇鉄のモデルで 元は大橋屋にあったようです


大橋屋の南西 旧東海道から少し入ったところには 三河の国司大江定基との別れを悲しんで自害した赤坂の長者の娘力寿姫の菩提を弔うために建てられた長福寺 山桜が見事です


赤坂陣屋跡 慶長六年(一六〇一)から天領となった赤坂には 遠江国中泉陣屋の出張陣屋として赤坂陣屋が置かれました


杉森八幡宮の先に見付跡の表示 赤坂宿はここまででした


音羽川に沿った自然豊かな旧道です


長沢の一里塚跡 日本橋から数えて七十七番目の一里塚です


国道一号線に合流 しばらく名鉄の線路と併走します


岡崎市に入りました


ここからまた旧道に この先から間の宿・本宿でした


本宿に入ると法蔵寺があります 法蔵寺については連載の藤川で触れます


本宿の一里塚跡 日本橋から数えて七十八番目の一里塚です


本宿を出るとまた国道一号線に合流  この先しばらく北西方向に国道を歩きます 藤川まではあと二、五キロほど
  1. まちなみ風景

    喜連の環濠集落(二)
  2. 東海道の祭

    風まつり
  3. 古社寺風景

    住吉大社
  4. 古社寺風景

    瀧安寺
  5. 心に留まった風景

    備前焼の里 伊部
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