旧東海道のひとこま 

39.岡崎~知立(写真をクリックすると拡大されます)


歩行者にとっては複雑な岡崎インター西付近を抜けると岡崎宿まではおよそ一キロです


冠木門の先が岡崎宿です 岡崎は岡崎城の城下町でもあり 二十七曲がりと呼ばれる複雑な道が特徴です


二十七曲がりを間違えずに歩けるようにとこのように表示が立っています


宿場の中心だった伝馬通り 白い建物は創業天明二年の和菓子屋「備前屋」です


備前屋の先のコンビニのあたりに西本陣がありました 岡崎は大きな宿場だったので本陣が三軒ありました


宿場町の北側の丘陵にお寺や神社が集中しています こちらはそのうちの一つ浄土真宗の随念寺 永禄5年(1562)家康が祖父松平清康と清康の妹久姫の菩提を弔うため永禄五年(一五六二)に創建しました


こちらは随念寺の北西七百メートルほどのところにある甲山寺 もとは最澄が安城に創建した寺で 松平清康が岡崎入城の際岡崎城の鬼門鎮護として当地に移築したと伝わります 徳川幕府及び代々岡崎城主の祈願寺として崇拝されてきました ちなみにお寺の背後には古墳時代中期の大きな円墳があります


岡崎公園内にある岡崎城 家康生誕の地です 昭和三十四年に復元されています


複雑な二十七曲がりも終わりに近づいてきました 八帖村とは岡崎城から西に八町の位置にあったからという説と 村が八つに分かれていたからという説があるようです


八帖といえば八丁味噌です 旧東海道沿いには八丁味噌のカクキューとまるやがあります 見学可


矢作川を渡ります


矢作川を渡った後しばらく旧道を西へ進みますが やがて国道一号線に合流


国道沿いに建つ薬王寺は奈良時代に行基によって創建されたと伝わる古刹です 本堂は古墳時代中期の前方後円墳の前方部に作られているようです 寺の前には「三河国薬王寺刀匠鍛刀造趾碑」と刻まれた石碑が立っています 室町時代後期この辺りに薬王寺派と呼ばれる刀鍛冶集団がいたようです


安城市に入ります


尾崎の一里塚跡 日本橋から数えて八十三番目の一里塚です


旧道沿いに建つ永安寺には樹齢三百五十年といわれる見事な雲竜の松があります


明治用水建設の功労者をお祀りしている明治川神社


旧道沿いには工場が続きますが松並木に助けられます


カキツバタで知られる八橋への分岐点 ここを北に直進すると八橋です


来迎寺の一里塚 かろうじて原型を留めているこちらは西側の一里塚で 東側は半分ほど壊されています 日本橋から数えて八十四番目の一里塚です


衣裏豊田道路が見えてきます ここを越えると知立の松並木に入ります
  1. 古社寺風景

    融神社
  2. 古社寺風景

    丹波國一宮 出雲大神宮
  3. 古社寺風景

    福住の住吉神社
  4. 古社寺風景

    大依羅神社
  5. 心に留まった風景

    清流の町 醒井
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