旧東海道のひとこま 

35.吉田~御油(写真をクリックすると拡大されます)


東八町の大きな交差点 北東には高さ五メートルもの巨大な秋葉の常夜燈が立っています 


東八町の交差点の南西には復元された東惣門が立っています ここが吉田宿の東の出入り口 午前六時から午後十時まで開けられており それ以外の時間は通行できませんでした


鍛冶町から曲尺手町を経て呉服町へ 吉田宿は吉田城の城下町でもありました


札木の交差点付近から西が宿場の中心でした 交差点を渡ってすぐの現在鰻屋があるあたりに本陣がありました 吉田宿には本陣が二軒 脇本陣が一軒でした


松葉公園まで来たら旧東海道は北に向きを変えます


国道二十三号線を渡ったところに西の惣門 吉田宿はここまででした


豊川に架かる豊橋を渡ります この橋の名前については連載の吉田をご覧ください


豊川を渡るとしばらく川に沿って北西に進みます その途中にある聖眼寺には「松葉を焚て手拭あふる寒さ哉」という芭蕉の句碑があります


旧道らしい風景も残っています 旧東海道はこのカーブの手前で豊川から分かれ北西へ 豊川は西に流れほどなく三河湾に注ぎます


旧東海道から百メートルほど東に入ったところに弥生時代から古墳時代初期の集落遺跡である瓜郷遺跡があります 四カ所の貝塚を含む大規模な集落だったようです


豊橋の魚市場前を通過 道は北西方向に一直線に進みます


豊川はたびたび洪水を起こし周辺住民を苦しめてきました その対策として昭和四十年に豊川下流に放水路が造られました 旧東海道はその豊川放水路を渡ります


旧東海道は伊那街道と交差 小坂井に入ります 右手に延喜式内社の菟足神社


伊奈村立場茶屋の表示と石碑 伊奈には休憩のための立場がありました


山本太鼓店の脇に伊奈の一里塚跡の表示 日本橋から数えて七十五番目の一里塚跡です


一直線の単調な道がしばらく続いた後 旧東海道は国道一号線に合流しますが 名鉄の線路を越えるとまた国道から分かれ静かな旧道に戻ります


このあたりは国府(こう) 地名の通りかつて三河国の国府があった土地です


旧東海道が少し西に入ったところには国府観音 御本尊である聖観音像は江戸時代に土中から発見されたもので秘仏です 五メートルの体長は大須や浅草とほぼ同じ


天元・永観(九七八~九八五)の頃、時の国司大江定基が三河守在任に際し 三河国の安泰を祈念して出雲国大社より大国主命を勧請 合わせて三河国中の諸社の神々をも祀られたと伝わる大社神社


その先信用金庫の前に御油の一里塚跡の表示 日本橋から数えて七十六番目の一里塚跡です


旧東海道と姫街道が交わる追分です 浜名湖の今切を避け見付から浜名湖の北を通って御油に至る道が姫街道です ここまで来ると御油宿はもうすぐです
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