旧東海道のひとこま 

26.日坂~掛川 (写真をクリックすると拡大されます)


峠道を下るとすぐにかつての日坂宿です こちらは本陣跡 小さな宿場だったので本陣は一軒でした


旅籠だったところにはかつての屋号が掲げられています


こちらは幕末に脇本陣をつとめた黒田家 日坂では何度か脇本陣が替わりました


脇本陣跡の近くには問屋場跡 


こちらは幕末に問屋場をつとめた伊藤家が携わっていた商家かえで屋 建物は明治のもののようです


かえで屋に隣接したこちらが藤文という屋号の問屋場跡 伊藤家は最後の問屋場をつとめました 明治になると伊藤家は郵便取扱所を開設 日本で最初の郵便局の一つといわれています


旅籠萬屋 江戸時代後期の嘉永から安政にかけての建物です


日坂宿の一番西にあった旅籠川阪屋 江戸から招いた棟梁の手によるもので 一般の旅籠には禁じられていた桧が使われていることから身分の高い武士が泊まる脇本陣格の旅籠だったと考えられています


その先には高札場がありました 高札場とは幕府や藩が定めた法令や禁令を板に墨書し掲げた場所のこと ちなみにこれは復元されたものです


高札場跡の隣に下木戸跡 ここが日坂宿西の出入り口でした


幕末に生まれ明治に書家として活躍した成瀬大域の生家跡 江戸時代の劇作家大須賀鬼卵も日坂の出身 小さな町ですが文化的素養をもつ人を輩出する土地だったようです


民家が途切れまもなく現在の東海道と合流する手前に本宮入り口と書かれた表示と鳥居があります これはすぐ近くにある事任八幡宮の本宮のこと 小さな山の上にお社があります


現在の東海道に合流したところに鎮座する事任八幡宮 遠江国の一宮 社名の「ことのまま」が願いごとが意のままに叶うという意味を持つことから 多くの旅人がお詣りに立ち寄りました


しばらく南へ進みます


国道一号線のバイパスとの交差点を過ぎると逆川沿いに塩井神社の鳥居があります 神社は川向こうですが常設の橋がないので渡ることはできません この神社を過ぎたあたりから旧東海道は西に向きをかえ 蛇行する逆川に接近したり離れたりを繰り返しながら掛川に近づいていきます


伊達方の一里塚 日本橋から数えて五十七番目の一里塚です


本村橋からまた旧道に入ります


葛川の一里塚 日本橋から数えて五十八番目の一里塚です ここまでくると掛川宿はもうすぐです
  1. 古社寺風景

    融神社
  2. 寄り道東海道

    八丁味噌
  3. まちなみ風景

    大阪市中央公会堂
  4. 東海道の祭

    大津祭
  5. お知らせ

    「図書」(岩波書店)にエッセイが掲載されました
PAGE TOP