古社寺風景

住吉大社

難波宮跡の南西およそ十キロほどのところに、摂津国一宮の住吉大社があります。古代倭王権の海上交通の守護神で、神功皇后伝説の舞台にもなった大変歴史のある神社で、日本という国の歴史にも深く関わりを持っています。地元では「すみよっさん」と呼ばれ、現在も多くの人が参拝に訪れています。

「すみよし」と読んでいますが、この読みは平安時代以降のことで、『古事記』では墨江と書かれているように、古代には「すみのえ」とか「すみえ」でした。すみのえとは、清らかに澄んだ入江のことです。

夕さらば 潮満ちきなむ 住吉の 浅鹿の浦に 玉藻刈りてな 『万葉集』巻二 一二一

現在の風景からは想像もできませんが、『万葉集』に住吉の風景を詠んだ歌が多いように、古代このあたりは風光明媚なところでした。

 

上は『神功皇后伝説の誕生』(前田晴人著)から引用させていただいた「古代の住吉と難波」の地図です。現在の地図と比べるとだいぶ海岸線の位置が異なるのがおわかりいただけるかと思います。少し見にくいかもしれませんが、古代の地図中、住吉大社のところに住吉大津とあります。津とは港のこと。住吉大津は先日投稿した難波宮跡で触れた難波の津よりも古くから使われていた天然の良港でした。

その住吉の津と海上交通の守護のために置かれたのが住吉大社で、代々津守氏が神主を務めてきましたが、津守氏が自身の氏神をお祀りしたのではなく、奉齋したのは王権、つまり王権直轄の神社だったと考えられるようです。(後で触れますが、津守氏の氏神をお祀りする神社は、摂社として別にあります。)

現在の御祭神は底筒男命そこつつのおのみこと中筒男命なかつつのおのみこと表筒男命うわつつのおのみことと神功皇后です。底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱は住吉大神とも総称され、『古事記』や『日本書紀』で黄泉国から帰還した伊弉諾いざなぎが穢れ払いの禊ぎをした際生成した神と伝えられています。

御祭神名にある「筒男」の由来は、津の男(津つ男)、船霊を収めた筒、豆酘(対馬の地名)の男など諸説あり、まだ確かなことはわかっていませんが、住吉大社の前はかつて天然の良港でしたので、その津を守るということで津の男ではないかという気がします。やがて住吉津が王権の管理下に置かれるのに伴い、住吉三神も王権の津の守護神となっていったのでしょう。

『日本書紀』の巻第九神功皇后のところを見ると、住吉の三柱について次のように書かれています。

亦《また》表筒男・中筒男・底筒男、三の神、おしへまつりて曰はく、『吾が和魂にぎたまをば大津の渟中倉ぬなくら長峡ながをさしむべし。便すなはち因りて往来ゆきかよふ船をみそなはさむ』とのたまふ。是に、神の教えのまにまに鎮めゑまつる。則ちたひらかわたわたること得たまふ。

住吉三神は自らの託宣により大津の渟中倉の長峡に鎮座し、大津の守護神となったということですが、これはつまり大王家によってそのようにされたということで、重要な港だった住吉津と海上交通安全の守護神としてお祀りされたことがわかります。

ここでいう大王家とは、仁徳天皇以降のいわゆる倭の五王を考えています。五王とは履中天皇、反正天皇、允恭天皇、安康天皇、雄略天皇と推定されている説を採ります。五世紀の古墳時代、大王家は中国大陸や朝鮮半島と盛んに政治外交を繰り広げていましたが、そうした大王家と姻戚関係を結び強大な勢力を誇っていた豪族に葛城氏がいました。葛城氏の拠点は奈良県の葛城地方で、そのあたりのことについては、いずれじっくり取り組みたいと思っていますが、その葛城氏が大王家と並ぶ勢力を持つに至ったのは、大和川水運をはじめとする海(水)上交通を掌握していたからだと言われています。当然大阪湾沿岸の津もそうでしょうし、瀬戸内海の海運も、さらに朝鮮半島に至る海上交通をも掌握していたようです。

また『古事記』によると、仁徳天皇と石之日売いはのひめ(葛城系)の間に大江之伊邪本和気おおえのいざほわけ命(履中)、墨江之中津すみのえのなかつ王、蝮之水歯別たぢひのみつはわけ命(反正)、男浅津間若子宿禰をあさづまわくごのすくね命(允恭)らをもうけたとありますが、名前にある大江、墨江、蝮、浅津間はすべて地名で、浅津間以外は河内平野に見られた地名です。墨江は住吉津付近のことでしょう。

こんなところからも住吉津と大王家との関係がうかがえます。

 

住吉大社についてはもっと書くべきことがあるのですが、勉強途中でうまく整理ができていません。もう少し時間をいただき、機会を改めて取り上げることにして、とりあえずは境内に入ってみましょう。

  

鳥居をくぐると、朱塗りの反橋(太鼓橋)が現れます。最大傾斜は四十八度、渡り甲斐のある立派な橋で、これを渡るだけでお祓いになるとも言われています。

境内の様子はこちらの地図をご覧ください。

 

  

古代海に面していたことから、社殿は西向きに建てられています。御祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命と神功皇后ですが、住吉三神が西(手前)から東(奥)に向かって第三本宮、第二本宮、第一本宮にそれぞれお祀りされ、神功皇后は第三本宮の向かって右隣(南)に建つ第四本宮にお祀りされています。

広い境内にはいくつかの摂社が鎮座しています。こちらは摂社の中で最も格式の高い大海神社で、ここが津守氏の氏神をお祀りしている神社です。海幸山幸神話に出てくる海神・豊玉彦命とその娘・豊玉姫命を御祭神としているように、海との関わりを今に伝えています。

 

ちなみに、ご存じの一寸法師は、四十を過ぎても子供ができない老夫婦が住吉大明神にお詣りして授かった子供で、一寸法師がお椀に乗って都をめざし旅だったのも住吉の浦だったというように、住吉大社と関わりが深いのです。右下は『御伽草子』の挿絵ですが、鳥居のすぐ前は海、鳥居をくぐると奥には太鼓橋が見える様子は、住吉大社そのものです。

一寸法師は単なるお伽話ではなく、話の起源は住吉大神の神話にあり、さらに言えばそれは古代天皇制の話にも繋がっていくのですが、それを書き出すと大変なことになりますので、一寸法師が住吉大社と関係が深いということだけ申し上げておきます。ご興味ある方は『桃太郎と邪馬台国』(前田晴人著 講談社現代新書)を是非。

 

  

 

 

 

 

 

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コメント

    • wpmaster
    • 2018年 4月 18日

    コメントをどうもありがとうございます。今回は住吉大社の歴史の中でもかなり古い時代のことに触れたので、読みにくかったかと思いますが、一寸法師の話は私自身も惹かれるところです。日本の昔話はすべてではないにせよ歴史と関係がありますので、なかなか奥が深いですね。

    • 松本 茂樹
    • 2018年 4月 18日

    古事記や日本書紀は固有名詞としては、知ってはいますが中身を呼んだこともありませんでした。こうした解説なしでは、たとえ一行でさえ読めないと思います。とても興味深く拝見しております。先のかぐや姫といい、この一寸法師といい何か身近なもので、親しみさえ覚えます。古代と現代が繋がっているのだと。

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