長寿寺の北西一キロほどのところにあるのが、長楽寺同様阿星山五千坊の一つとして栄えた常楽寺です。長楽寺が東寺と呼ばれていたのに対し、こちらの常楽寺は西寺と呼ばれ、いずれも紫香楽宮の鬼門鎮護にあたり栄えました。
創建は和銅年間(七〇八~七一五)、元明天皇の勅願で良弁が開いたと伝わります。平安時代から鎌倉時代にかけて、天皇家から篤く信仰され繁栄しますが、延文五年(一三六〇)火災で全焼、同年に再興されています。
冒頭の写真はこの時に建てられた本堂。桁行七間、梁間六間、向拝三間、入母屋造、檜皮葺の姿は歴史の重みを感じさせる堂々とした建物で、堂内には秘仏の千手観音坐像や重要文化財に指定された二十八部衆立像が安置されています。
また本堂奥に見える三重塔は瓦に応永七年(一四〇〇)の銘があることから、本堂よりは少し後のものになりますが、遠くから見ても近くから見てもほれぼれする美しい塔です。二十二メートルの高さは、近江にある三重塔の中で最大だとか。
また現在寺の入り口は写真左下のようになっていますが、かつては室町時代創建の立派な楼門があり、運慶による金剛力士像が安置されていたそうです。その楼門は豊臣秀吉によって伏見に移された後、さらに徳川家康により三井寺に移され、現在は三井寺の大門(写真右下)として三井寺を守護しています。
常楽寺の境内は自然の地形を取り込み起伏に富んでいます。本堂の屋根越しに見える風景もまた格別でした。