まちなみ風景

宇陀

東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば月傾ぬ  「万葉集」巻一 四十八

柿本人麻呂による有名なこの歌、軽皇子の安騎の野に宿りましし時に、柿本朝臣人麻呂の作れる歌」と題された長歌および反歌の一つで、その舞台は大和国の阿騎野です。

軽皇子は天武天皇と持統天皇の間に生まれた草壁皇子の子供(後の文武天皇)で、草壁皇子が早世したため早くから後継者として期待されていました。この歌は、父が亡くなって三年後、軽皇子十歳のときにに出かけた狩猟の場で詠まれたもので、随行した人麻呂はかつて同じ地を訪れた草壁皇子への追慕の念をこの歌にこめたと言われています。

それはさておき、この歌の舞台となった阿騎野は、現在の奈良県東北の大和高原南端に位置する盆地にあり、『日本書紀』の巻二十二、推古天皇の箇所に「十九年の夏五月の五日に、菟田野に薬猟す」と記されているように、飛鳥時代以来宮廷の狩場としての歴史を有しています。(「菟田野」が現在の奈良県宇陀市大宇陀迫間や中庄周辺の阿騎野を指すとされています。現在の話をするときは宇陀とします)

当時の狩というのは、『日本書紀』にもあるように薬猟のことです。男性は鹿の角をとり、女性は薬草を摘みました。現代人同様、古代人にとって薬は大切なものでした。医学が未発達な分、現代人よりも病に対する恐怖や不安が強かったかもしれません。

阿騎野での薬猟の源は、中国の長江流域で行われていた薬草摘みや、高句麗王室が楽浪の丘で行った鹿や猪を狩る行事にあると言われています。それらが推古天皇の時代に日本にもたらされ、宮中行事として行われるようになったのですが、丘陵の一角にあって自然豊かで多様な動植物が生息する阿騎野は狩場に最適だったのです。

推古天皇の時代といえば、今から千四百年以上前のことですが、現在の宇陀も薬草や薬と縁が深い土地だということを、静かな宇陀の散策で知りました。

今日はその一端をご紹介したいと思います。

まずはこちらの森野旧薬園です。

  

森野旧薬園は、江戸時代初期から当地で代々良質の葛粉を製造してきた森野家十一代目の藤助が、自宅の裏山に開いた薬草園で、私設の薬草園としては日本最古です。

藤助は若い頃から植物好きで、独学で薬草の研究をしていましたが、徳川吉宗の時代に幕府の採薬使として大和国を訪れた植村左平次に見初められ、採薬調査に同行する機会を得ました。当時は薬草は輸入に頼っていましたので、高価な薬草は一般庶民はなかなか手が出ませんでした。そこで吉宗は薬草を国内で栽培すべく、全国に採薬使を派遣していたのです。

藤助は、各地を巡りながら今まで知られていなかった植物を発見するなど、大きな功績を残したことから、幕府より当時珍しかった外国産の薬草の種や苗などを与えられ、それらを植えたのが森野旧薬園の始まりです。

葛を販売している店舗を通り建物の裏に出ると、背後には山。その山一帯に薬草が植えられています。

石段を上っていく道すがら、あちらこちらに植えられた薬草木に眼が留まります。その数およそ二百五十種類。いまの時期は地上部が枯れているものも多いですが、名札を見ていると普段鑑賞用として楽しんでいる植物があれここれも薬草だったのかという発見があり、興味が尽きません。たとえば桜。桜は樹皮が湿疹や蕁麻疹に効くのだそうです。また芍薬は腹痛に、鈴蘭は強心、利尿に…といった具合で、そうした効能を見ていると、我々人間は自然に生かされているのだなとつくづく思いますし、江戸時代以来二百五十年近くもの間、薬草木を絶やすことなく育て続けているというのは大変なことです。

宇陀の台地には推古天皇の時代薬狩の地だった記憶が刻まれています。深く、永遠に。その一端を垣間見ました。

 

山の中腹からは、冒頭の写真のような見事な宇陀の眺望を得ることができます。

写真下手前の屋根は森野吉野葛本舗のもの。吉野晒しと呼ばれる水晒し製法で葛を作っていた水槽も見えます。(現在は近くの工場で製造しています)

 

さて森野旧薬園を後に、趣きある宇陀の町を歩いていくと、破風付きの立派な看板が見えてきます。

「天寿丸 人参五臓圓」と書かれていますが、これは江戸時代の腹薬の名前です。

この看板を掲げた家は江戸時代薬問屋だった細川家のもので、先の看板は当時の繁栄を伝えています。江戸時代末期の建築様式を残す建物は、現在宇陀市歴史文化館「薬の館」として公開されているのですが、実はここは藤沢薬品創業者藤澤友吉の母方の実家であることから、館内には藤沢薬品関連の展示も見られます。

宇陀は藤沢薬品だけでなく、ロート製薬、ツムラ、笹岡薬品の創業者も輩出している土地。ここにも古の記憶が。

 

宇陀は江戸時代宇陀松山城の城下町としても栄え、現在も当時の町並を残していることから、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

  

落ち着いた町を歩きながら、土地に刻まれた薬の記憶の深さに感じ入った一日でした。

 

 

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