古社寺風景

丹波國一宮 出雲大神宮

亀岡盆地に車を走らせていたら、「丹波國一宮 出雲大神宮」と書かれた看板に目が留まりました。

丹波國は現在の京都府中部、大阪府北部、兵庫県北東部に相当します。

その丹波國の東にある亀岡盆地は太古赤土の泥湖でしたが、大国主命が亀岡と嵐山の間に保津峡を切り開いて水を流し干拓したことで、農業に適した盆地が生まれたと伝わります。

丹波という名は、風が吹くと美しい丹色の波が立ったことに由来するとか。ただ律令制以前の古代の丹波は丹後と但馬も含む広大な國で日本海に面していましたので、「波」は日本海を指すという考えもあり、先の地名由来は後からのもののようにも思えますが、それはそれとして丹色の波が立つ風景は印象的です。

出雲大神宮が鎮座するのは、亀岡盆地中央の東端、御蔭山の西麓で、田畑の中に残る千歳車塚古墳のあたりから見ると、ご神体である御蔭山に抱かれた神社であることがわかります。

実はここ、”縁結びのパワーポット”として最近若い人を中心に人気の神社なのですが、そういうことを全く知らなかった私には、丹波國の一宮が「出雲」というので、がつんと頭を突かれたような気分でした。でもよくよく考えてみると古代丹波國は五畿七道の山陰道に相当し出雲國とは同じ行政区でしたし、日本海側を通る山陰道(古代山陰道)によっても出雲國と結ばれていましたので、丹波國の亀岡に出雲と名の付く神社があっても少しも不思議ではないのでした。

社格制度が成立したとされる平安時代後期に、出雲大神宮が丹波國で最も格式の高い神社に認定されたということは、「出雲」に関心を抱き続けている私の興味を刺激するのに十分で、難題である「出雲」に少しでも近づくことができたらという思いにも押され、出雲大神宮に向かいました。

鳥居をくぐると御影山はすぐ目の前に迫り、陽光が降り注ぐわずかな平地に社殿が建っています。一宮にしては境内がこぢんまりしているように思いますが、元は背後の御蔭山をご神体とする神社ですから、社殿の建つ平地部分の広さをうんぬんするのはあまり意味がないのかもしれません。拝殿は明治十一年(一八七八)の造営ですが、本殿は和銅二年(七〇九)が最初の建立と伝わり、発見された棟札から室町時代に再建されたと考えられています。現在は国の重要文化財に指定されています。

そこにお祀りされているのは、大国主命と后の三穂津姫命です。

  

先ほども触れたように、丹波國と出雲國は同じ山陰道に属し、両國は街道としての山陰道によっても結ばれていましたので、『徒然草』二三六段に「丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり」とあるように、丹波國の御祭神が出雲大社から勧進されたと考えられたのはもっともですが、『丹波国風土記』逸文を元にした出雲大神宮の社伝では、元明天皇の和銅年間に大国主命一柱を出雲に遷したということで、丹波の当社のほうが先だというので元出雲と呼ばれています。

ちなみに、出雲大社は明治四年までは杵築大社だったことから、昔出雲の神社といえば、ここ丹波國の出雲大神宮を指したようです。島根県の出雲大社と亀岡の出雲大神宮のどちらが古いのかはわかりませんし、出雲と名の付く神社としてどちらが先だったのかを知ることはあまり大きな意味はないでしょう。それよりも、出雲の神が丹波國の亀岡に一宮として大切にお祀りされていることの意味を考えることが大事なように思います。

 

そもそも出雲大神宮は御蔭山をご神体とし、山中にある巨大な二つの磐座に神の降臨を見た古代祭祀に始まります。

磐座といえば、島根の出雲大社には現在立派な社殿がありますが、ここもかつては八雲山をご神体としていたと考えられ、山中には立派な磐座があると言われていますし、大物主をお祀りする大和國の大神神社は三輪山をご神体としており、いまなお本殿を持たず神体山信仰を伝えていますが、三輪山にも磐座があります。三輪山は大神神社の摂社である狭井神社から上ることができ、以前お詣りさせていただいたことがあるのですが、山上付近に残る磐座群はえもいわれぬ気配に包まれていました。

(大物主は「出雲国造神賀詞いずものくにのみやつこのかんよごと」によると大己貴神おおなむちのかみ和魂にぎみたまとされる神で、『日本書記』の諸伝承によっては大国主の別名とされることもありますが、大国主の登場も含め、大物主、大己貴といった神々はヤマト王権の勢力拡大と無関係ではなく、勉強不足のためいま簡略に整理して書くことができませんので、ここでは出雲系の神ということだけ記しておきます)

磐座信仰は各地にあるとはいえ、出雲系の神社に多く見られます。亀岡の御蔭山も出雲族による信仰対象だった可能性が高く、後の時代麓に社殿が造られ、大国主命と后の三穂津姫命をお祀りするようになったのでしょう。

 

出雲大神宮が鎮座する御蔭山の麓というのは丹波國と山背國の境に位置し、丹波國の入り口に当たることから口丹波と呼ばれたところです。しかもここは山陰道の起点・終着点でもありました。(厳密にいえばこれは律令制の時代になってからのことですが、それ以前においても、それに近いことは言えたのでは・・・)古代出雲族が東に移動する過程で祈りを捧げるのに相応しい場所を見つけ腰を据えた場所の一つが、ここ御蔭山だったということではないしょうか。

もう一つ付け加えると、亀岡盆地には霧がよく発生し、空に雲がたなびく光景が見られます。気象的に亀岡盆地は八雲立つ土地。出雲族が足を留めたくなるいくつかの自然条件がここに揃っていたようです。

なおここ御蔭山には古墳時代後期、五世紀から六世紀ごろのものと思われる横穴式石室を持つ古墳があります。出雲族による磐座祭祀もその頃のことで、被葬者はこの地で祈りを捧げた一族の一人と考えるのが自然でしょう。

 

ところで出雲族と書きましたが、これは出雲神話で天孫系に国譲りをしたとされている一族のことで、あくまでも仮にそう呼んでいるだけで正式なものではありません。三五八本(国内最多)の銅剣と六個の銅鐸が出土した荒神谷遺跡や、三十九個(国内最多)の銅鐸が出土した加茂岩倉遺跡から、古代出雲地方に強大な勢力を誇る一族がいたのは確かで、彼らが天孫系と言われる一族とせめぎ合いを続けた後にヤマト王権と呼ばれる連合政治組織が誕生しましたが、大和國の大神神社が出雲系であるように、出雲族はそれ以前に畿内の各地に勢力を拡げていたようです。

とりとめもなく書きましたが、律令制下の丹波國において、山背國と接し山陰道の入り口にあたる場所にあったのが出雲大神宮ということで、平安京に都が遷ってからもその位置的な重要性には変わりがなく、都を守るためにも出雲系のこの神社を一宮にすることが必要だったのではないかと想像しています。

余談ですが、愛宕山を越えるとそこは山背國で、下鴨神社賀茂御祖かもみおや神社)付近はかつて愛宕おたぎ郡出雲郷といいました。賀茂川に架かる出雲路橋や賀茂川右岸に出雲路神楽町や出雲路俵町といった地名がその名残で、正倉院に残る古文書、神亀三年(七二六)の「山背國愛宕郡出雲郷計帳」(租税徴収の基本台帳のようなもの)によると、出雲郷には出雲臣氏が多く居住していたことがわかります。現在上御霊神社があるあたりに彼らの氏寺である出雲寺もあり、立派な伽藍を構えていたといいます。

出雲族の足跡は古代史に深く食い込むため、複雑で難しく、素人の手には到底負えませんが、それは日本という国家が誕生するまでの遙かな道のりをあるときは牽引し、またあるときは下支えしてきた過程に重なります。その一端を垣間見、思いを巡らせる間、心は現実を離れ自由に飛び回ることができます。いまの私にとってその時間は心安らぐ貴重な一時です。

最後にもう少し境内の様子をご紹介しましょう。

境内には真名井の水が湧き出ています。延命長寿の御霊水を求めてペットボトル持参で来る人の姿も。お水をいただくと、いっそうこの土地と繋がった感じがしますので、お詣りに行かれた際には是非!

社殿の後ろに回り込み、御蔭山の麓を散策していると、磐座や古墳、滝など、古代と変わらない風景を目にします。そして簡素な木の鳥居から先はより神聖な場所ということで、社務所でいただいた襷をかけ、身を清めてからのお詣りになります。

 

ご神体に足を踏み入れるので身が引き締まります。山道を上っていくと、その先に大きな磐座がありました。御蔭山には『古事記』では国之常立神、『日本書記』では国常立尊として登場する天地開闢の際に現れた神が鎮まっていると言われており、その神が降臨されるのがこの磐座ということです。

降臨された神が国常立尊かどうかは別にして、千五百年近く前にここで祈りを捧げた人の姿、その心の内を思うと、いま同じ場所に立っていることの不思議に体が震える思いがしました。

 

 

 

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