古社寺風景

大御堂観音寺

十一面観音といって真っ先に思い浮かぶのが、近江国、湖北にある渡岸寺にある十一面観音像です。得も言われぬ造形美を全身に漲らせたこの像を初めて目にしたときの感動は、いまも忘れることがありません。

信仰対象である十一面観像に、造形的な美しさばかりを強調するのは間違っているのかもしれない。けれど、仏像であろうが彫刻であろうがそこに現れた美に違いはなく、特別な信仰心のない者にとっては、美の結晶たるヴィーナスに打たれたことが、結果的に手を自然に合わせ、明確な終着点も見えないままいくつもの十一面観音を訪ね歩くことになっていくのだ。そういう形の信仰があってもよいのではと思うが、それは素人考えだろうか。

渡岸寺の十一面観音像を拝観した後、「湖北のヴィーナス」(『近江古事風物誌』に収録)と題したエッセイを書きました。これはその最後の部分ですが、この気持ちは十年以上経っても変わることはなく、その間私は各地でこれに比肩する十一面観音像を拝観してきました。

近江国では渡岸寺のほか、石道寺、充満寺、盛安寺、鶏足寺、櫟野寺らくやじなど。若狭では羽賀寺、大和国では聖林寺、室生寺、法華寺、長谷寺、海龍王寺…、といった具合で、いまここでその一つ一つについて書くことはできませんけれども、お祀りされている土地の風光が異なるように、十一面観音像はそれぞれ固有の特徴を湛え、その土地の顔として脳裏に刻まれています。

十一面観音像の秀作は数多くありますが、国宝ということでは七体です。先にあげた渡岸寺どうがんじ、聖林寺、室生寺、法華寺がそのうちの四体で、他は京都の六波羅蜜寺と大御堂おおみどう観音寺、大阪の道明寺です。

今回は京田辺にある大御堂観音寺の十一面観音を拝観しました。

 

大御堂観音寺のある京田辺は、京都府南部の南山城と呼ばれるところにあります。ここでいう南山城は山城国の南ということで、相楽郡南山城村だけを指しているのはなく、京田辺市、宇治田原町、木津川市、精華町、笠置町、和束町一帯のことです。

南山城は、南は大和国(奈良県)、西は摂津国・河内国(大阪府)に接する丘陵地帯で、中央を流れる木津川(萬葉の時代は泉川と呼ばれていました)は奈良の都と京都、琵琶湖、大阪湾といった場所とを結びつける重要な交通路でもありました。そういう土地ですので、南山城のとくに木津川流域は歴史の宝庫です。

ちなみに、山城国は古くは山背国と記されました。これは木津川市と奈良の間に横たわる平城山ならやま丘陵の背後にある土地に由来するもので、そこからも南山城と奈良、平城の都との結びつきの深さがうかがえます。

大御堂観音寺は七世紀の後半に、天武天皇の勅願で義淵により創建された観心山親山寺に始まり、天平十六年(七四四)聖武天皇の命で東大寺別当だった良弁が中興、その際十一面観音像がお祀りされたと伝わります。良弁によって中興された後、良弁の高弟実忠が入り、五重塔が建てられたとも言われるように、奈良時代の後半には三十三もの伽藍を擁する大寺院として隆盛を極め、寺領も河内国の交野に及んだといいます。息長山普賢教法寺と称されるようになったのはその頃からですが、平安時代に何度か火災に遭い、当寺が興福寺の別院だったことから、火災の都度藤原氏の援助で復興されています。やがて藤原氏の衰退と共に寺運も傾き、永享九年(一四三七)の火災で建物のほとんどが失われ、大御堂だけが再建され現在に至っています。

こちらが大御堂で、かつての寺名である普賢寺は、現在地名に残るのみです。(冒頭の写真は遠景)度重なる火災がなければ、お寺の歴史ももっと詳しいことがわかったでしょうし、多くの寺宝が伝えられたでしょうが、大御堂のお厨子の扉がご住職の手で開けられ、人の背丈ほどの十一面観音像が姿を現したとき、天平文化を伝えるこの像一体で、失われたものすべてを補って余りあるような気がしました。それほどに大御堂の十一面観音像は美しく気品に溢れていました。

天平の頃から造られるようになった木心乾漆造(木彫で原型を造り、そこに漆と木屎漆こくそうるしで盛り上げ細部を形作っていく手法)によるもので、同じく国宝に指定されている奈良県桜井市の聖林寺にある十一面観音像とどことなく似た感じがしますが、大御堂の十一面さんの方が柔和な雰囲気です。像高はおよそ一七三センチメートルとちょうど成人男性ほどの大きさであることが、親近感を覚える一つの理由かもしれません。水瓶を持つ手の指、全面の主に下半身から水瓶にかけて流れるように曲線を描く天衣、頭部を囲む光の輪のごとき光背、拝観者を優しく見下ろす半眼のまなざし。こういった細部の一つ一つが端正な気品に溢れ、自然光だけの堂内であたたかな存在感を放っています。堂内は撮影禁止。下は大御堂で購入した写真です。写真をさらに写真に撮ったものなので、実物とはかけ離れていますが、像全体の雰囲気がわかればと思い載せました。

この像に匹敵する見本となる像が身近にあり、相当な腕前がないとこれだけの像は造れないだろうということから、造東大寺司によるものではないかということです。

東大寺ということでいうと、二月堂で行われる修二会(お水取り)で用いる籠松明の竹は、大御堂観音寺近くで切り出した竹が使われています。二月十一日、竹を二月堂まで運ぶ「竹送り」は戦争などで一端途絶えましたが、昭和五十三年に復活し、現在も続いています。

 

このブログでもたびたび中間地帯がおもしろいということを書いていますが、京田辺もまさにそうで、観光とは無縁の静かな土地で、比類ない十一面観音像を拝観できたのはありがたいことでした。

 

 

 

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