古社寺風景

城南宮

気がつけばもう春のお彼岸の時期。東京の染井吉野は今日満開のようで、いつもより早い春の訪れに、こちらの体がおいていかれそうです。関西はこれから。書斎の外では、鶯がさえずりの練習に励んでいて、一週間前よりだいぶ上達しました。

 

久しぶりの投稿は、先日校正の合間に出かけた城南宮です。

城南宮は平安京の羅城門があった辺り(東寺から西に四百メートルほど)から南に三キロほどの、伏見区中島鳥羽離宮町にあります。平安京を南北に走る朱雀大路の延長線上といってよい場所で、城南宮は遷都の際、国の安泰と都の鎮護を祈念し、国常立尊くにのとこたちのみこと八千矛神やちほこのかみ息長帯日売尊おきながたらしひめのみこと(神功皇后)の三神(城南大神)をお祀りしたことに始まると伝わります。

平安時代後期、白河天皇の時代には、城南宮を取り囲むように鳥羽の地に離宮が置かれ、当地が院政の拠点になります。その際城南宮は、離宮の鎮守として一層の発展をみたと言われています。古代、ここは鴨川と桂川の合流地点に近い外港としての役割を担う場所であり、大山崎あたりから西に向かう山陽道にも近く、水陸両面において交通の要衝でしたし、風光明媚な場所でもありました。離宮跡は現在公園になっているも、周辺は殺風景で、かつてここに多くの貴族が狩猟や遊興のために集い、王朝文化がここで花開いたということは、かなり想像力をたくましくしないと、その光景を思い描くことは難しいのが現状です。京都には往々にしてそうした場所があり、最近私はそういう場所に出会ったとき、かつての様子を思い描くことの方に楽しみを見出すようになっています。変わり果ててしまった姿に落胆してばかりでは、何も見えてこないような気がするのです。

それはともかく、院政期の雅な時代を城南宮も一時同じ場所で共有していたということになりますが、鳥羽離宮は南北朝時代に戦火をあび、その後荒廃。城南宮も応仁の乱で荒廃しますが、こちらは江戸時代に再興されました。現在の社殿は昭和五十三年の再建。完全に当時の様子が再現されたのかどうかはわかりませんが、社殿の造りがどことなく優美で、王朝の雰囲気はしっかり受け継がれているように思います。

ところで城南宮といえば、新緑の頃、平安貴族の庭を再現した遣り水の流れる苔庭で、王朝時代さながらに催される曲水の宴が知られています。私はまだ実際に自分の眼で見たことはありませんが、再興、再現された場所であっても、やり方次第で歴史を語り継いでいく好例に思え、機会を見つけその場に身を置いてみたいと思っているところで、今回はその舞台となる楽水苑という広大な神苑を、ゆるりと散策しました。

神苑は境内の西から、右周りに神域を取り巻くように造られています。手がけたのは中根金作。足立美術館や大阪堺の大山公園内日本庭園、ボストン美術館天心園など内外の多くの庭園を手がけた、昭和の小堀遠州と言われる作庭家です。

入って最初に現れるのは、枝垂れ梅が見事な「春の山」。あいにく梅は終わっていましたが、満開の頃なら、白とピンクの梅が雨が降り注ぐように枝垂れる見事な光景が見られたでしょう。

「春の山」の先には、冒頭の写真にように、苔むした斜面に点在する散り椿。庭の北側を縁取るように生け垣状に仕立てられた色とりどりの椿を愛でながら、社殿を北側から回り込んで東に出ます。

  

すると次に現れるのは、王朝貴族の庭を模した「平安の庭」。

曲水の宴は、「平安の庭」のこの場所で行われるそうです。

城南宮道を隔てた南側の神苑に足を踏み入れると庭の雰囲気が一変。豪快な石組みを配した池泉回遊式の「室町時代の庭」です。

不老長寿を表す松が生えているのは蓬莱島。向こう岸には三尊石が望めます。

 

また神苑の一番南側は「桃山の庭」。明るく開けた芝庭を大海原に、点在する石を島に見立てています。

五月に、藤越しに庭を眺めるのもいいでしょう。

庭は純粋な自然ではなく、作庭家の理念・理想を自然に盛り込んだ再現空間ですが、植物それ自体が自然のものなので、いつの間にか両者の間の垣根が取り払われ、純粋な自然以上に自然な状態になることもあります。庭に惹かれるのはそういう部分で、久しぶりに戸外の空気を吸った早春の午後でした。

最後に城南宮の歴史において、一番大切なことを。

「平安の庭」と「室町時代の庭」は参道で区切られていて、いったん庭の外に出ることになるのですが、「平安の庭」を出てすぐの東側に真幡寸まはたき神社があります。現在は摂社としてお祀りされているこの神社は、『日本の神々5』によると、「真幡寸神社の創建年代は不明であるが、平安遷都(794)以前より当地一帯を勢力下においていた秦忌寸はたのいみきの氏神として、鳥羽郷真幡木里に纛神(ハタ or ハタホコ神)を祀ったのがはじまりとされ」、当初は別の場所にあったものが、鳥羽離宮造営の際、当地に遷されたようです。また「日本紀略」(「国史大系」第5巻)嵯峨天皇のところに、真幡寸神は飛鳥田神と共に鴨別雷神のことだと記されています。

今日はこれ以上深入りしないでおきますが、はじめに触れたように、城南宮は鴨川と桂川の合流地点に近い場所にあり、古代交通の要衝でした。平安京以前、河川を通じこの辺りで上陸し、足場を固めていった人たちの足跡が偲ばれました。

 

 

 

 

 

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