心に留まった風景

荒山公園の梅

昨日玄関のドアを開けた瞬間、例の匂いが鼻を突きました。春の匂いと呼んでいるその匂いは、眠っていた土の目覚めのしるしなのでしょう、今の場所で暮らすようになってから、春の訪れの一つの指標になっています。梅や水仙のようなかぐわしいものではないのですが、だから余計に印象に残る匂いでもあります。一昨日、この辺りで今年初めて鶯が声を発しました。雨上がりの今も、鶯のさえずりが聞こえています。春の匂いと鶯の声。この二つが出そろうと、いよいよ春近しです。

しばらく北摂の話題が続きましたので、今回は気分を変えて大阪の南に拡がる河泉丘陵に移動してみましょう。

河泉丘陵は河内国と和泉国にまたがる丘陵の総称で、河内の羽曳野丘陵や長野丘陵、和泉の泉北丘陵や泉南丘陵から成ります。北摂に千里丘陵があり、そこが大規模に開発されて千里ニュータウンが出来たように、和泉の泉北丘陵も昭和四十年頃から大規模に開発され、泉北ニュータウンが生まれました。大阪府堺市の南区から和泉市東部にかけた一帯です。丘陵を造成して作られた町なので坂が多いですが道はゆったり、至るところに広々とした公園があって、丘陵の名残を感じさせる自然も残っています。馴染みのある千里ニュータウンと雰囲気がよく似ていますが、ニュータウンというのはどこも似たり寄ったりになるものかもしれません。

そんな泉北ニュータウンの一角にある荒山こうぜん公園で遅咲きの梅が見頃を迎えています。

荒山公園は、泉北ニュータウンの開発に伴い式内社の多治速比売たじはやひめ神社の社有地の一部を堺市が買い取り、自然の地形を活かして作られた十七万平方メートルの公園で、北西が梅林になっています。二万七千平方メートルの敷地に堺市が昭和五十九年から梅を植樹し、今では五十品種、およそ千二百本の梅を楽しむことができます。

 

白梅はどちらかというと早咲きが多いようで、この日は紅梅ばかりが眼につきましたが、こちらの白加賀は満開で清楚な白が際立っていました。

このほか荒山公園にある白梅は、月宮殿、田子の浦、冬至、青軸、玉牡丹、月の桂、月影など。月を冠する名前が多いのは、二月初めのまだ寒さの厳しいときに、白い花が月のように空を照らしてくれるからでしょうか。

一方紅梅は摩耶、淋子梅りんしばい、開運、楊貴妃、鹿児島紅、紅千鳥、大盃、緋梅、黒雲など。白梅の名前に比べ力強い感じがします。

下は秀吉が名付けたと言われる八重咲きの摩耶。

 

こちらは淋子梅、波打つような花弁が特徴です。

 

 

盛んに鳥の鳴き声がするので上を見ると、メジロが群れで一本の梅に群がり蜜を吸っていました。たしかこれは梅と杏の交配種の豊後梅。豊後梅は果肉の厚い実をつけるそうですから、きっと花の蜜も格別なのでしょう。

 

遠目には桜と見紛うほどの紅梅。青空に向かって枝を伸ばす紅梅を見上げていたら、桜咲く勝持寺の光景が甦ってきました。あと一月足らずで桜の季節です。紅梅は桜の先導役といったところでしょうか。本格的な春到来の喜びを、少し先に分け与えてもらいました。

 

 

荒山公園の荒山は、多治速比売神社にお祀りされている十三の末社すべてを合わせてそこが荒山宮(高山宮)と呼ばれていたことに由来します。いまは開放的で明るい公園も、泉北ニュータウン開発以前は神社の社有地、つまり聖域でした。

次回は公園の北に鎮座する多治速比売神社へ。

 

 

 

関連記事

  1. 心に留まった風景

    天空の御師集落 東京青梅の御岳山

    大都会新宿から電車で西に一時間ほど行くと、窓の外は多摩川上流の渓谷風景…

  2. 心に留まった風景

    常滑

    愛知県知多半島にある常滑は、日本六古窯の一つ、常滑焼の産地です。…

  3. 心に留まった風景

    東寺の夜桜

    京都の東寺にひときわ眼を惹く枝垂れ桜があります。不二桜…

  4. 心に留まった風景

    白沙村荘

    早いもので三月も半ばになりました。この時季いつも自宅の裏山から…

  5. 心に留まった風景

    日本画家 木島櫻谷

    木島櫻谷《このしまおうこく》(一八七七~一九三八)と聞いて、すぐにその…

  6. 心に留まった風景

    城南宮の枝垂れ梅

    三月に入り、季節の歩みが加速しています。早朝、裏の雑木林から鶯の声が聞…

最近の記事

連載記事

  1. 登録されている記事はございません。

アーカイブ

  1. 寄り道東海道

    蓬莱橋
  2. 寄り道東海道

    広重の住居跡
  3. 寄り道東海道

    駿河国一宮 富士山本宮浅間大社
  4. お知らせ

    『東海道五十三次 いまむかし歩き旅』(河出書房新社)刊行のお知らせ
  5. お知らせ

    「季刊文科78号」(鳥影社)にエッセイが掲載されました
PAGE TOP