心に留まった風景

自然教育園

身辺慌ただしく久しぶりの投稿になりましたが、雑事に追われている間にも季節は刻々と進み、気がつけば桜が満開を迎え、場所によっては散り始めています。春告草の名を持つ梅がせっかく春の訪れを知らせてくれていたのに、その頃は余裕がなく、梅を見に行くこともままなりませんでした。それもあって、ようやくゆとりが生まれた先日、都内某所で満開の桜を目にしたときは、予告なしに春に出会ったようで、その対面に嬉しいやら少々戸惑いを感じるやら。季節に追いついていない自分に気づかされましたが、それは気持ちの面であって、体は無意識のうちに春に共鳴しているようです。冬の間割れて仕方のなかった指先が塞がってきたり、寒さで固くなっていた全身がほぐれてきたり……。そんな些細なことですが、自然界の生き物が意識することなく季節に沿った活動をしているのと同じように体も反応するようです。

私が寒さに体を縮こまらせている間、植物たちは着々と春に向け準備を重ねていたことを、先日訪れた東京の自然教育園のそこかしこで感じました。植物たちの春の息吹をご覧ください。

自然教育園は東京都港区白金台にある森林緑地で、現在は国立科学博物館の附属施設になっています。六万坪に及ぶ広大な園内はきれいに整備された公園とは一線を画す、まさに都会のオアシス、東京の中心部にいることがにわかに信じられないほどで、一歩足を踏み入れるとどこかの森に来たかのように五感が全開になります。園外と園内では空も光も同じなのに、ここに身を置くと特別なものに感じられるのは、植物たちの呼吸によって浄化されているからでしょう。

昨年十月にも訪れていますが、植物の力を最も感じることができるのは四月から五月にかけてかもしれません。鬱蒼とした雑木林を進むと、山吹に続き、イチリンソウ、ラショウモンカズラ、ニリンソウ、ヤマブキソウ……と次々に春の花々が目に留まります。イチリンソウもニリンソウも山地に咲くものと思っていたので、いかにここが自然の環境に近いかということでしょう。樹間から注ぐ木漏れ日を喜ぶ植物たちの歌声が聞こえてくるようです。昨年訪れた上高地の風景が脳裏をよぎりました。

 

しばらく進むと道が二手に分かれます。どちらに行ってもいいのですが、今回は池や湿地帯のある右の道を行くと、程なく道の先に存在感のある巨大な松見えてきました。

この老松は物語の松と呼ばれています。江戸時代この辺りには徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷があり、この松は当時の庭園の名残と考えられるそうです。物語の松という名の由来はわかりませんが、下屋敷時代ここに集う人たちを見てきた松と思うと、多くの物語を内に秘めているように思えてきます。

江戸時代の話になったので、自然教育園の歴史を振り返ってみますと、東京湾を臨む台地にあるこの場所には縄文時代から人の営みがあり、園内から土器や貝塚が見つかっています。目黒川や古川周辺は低湿地で、平安時代になると稲作が行われたようです。室町時代の応永年間(一三九四~一四二八)には、南朝の雑色だった柳下上総介《やぎしたかずさのすけがこの地に城塞式の館を構えたと伝わり、自然教育園のほぼ全域がその館跡とされています。

話が前後しますが、園内に入り雑木林の間の道を歩いていると、程なく左右が高くなっていることに気づきます。城の土塁跡で、歩き進むにつれその規模の大きさにも目を見張ることになりますが、そうした中世の城郭跡地に江戸時代の寛文四年(一六六四)松平讃岐守が下屋敷を構えたということです。(下屋敷の前は増上寺の領地でした。)明治になると国有化され、旧海軍の火薬庫として使われたこともありますが、大正時代に宮内省所管の白金御料地となり、昭和に天然記念物および史跡に指定され、国立自然教育園として公開、現在に至っています。

白金御料地の白金は、現在の地名に通じるものですが、これは中世この地に館を構えた柳下上総介が大量の銀《しろかね》を持っており白金長者と呼ばれていたことに由来するのだとか。白金はプラチナのことだとずっと思ってきましたが、そうではないようです。

物語の松を過ぎるとひょうたん池が見えてきます。都内では珍しい天然の池で、江戸時代には回遊式庭園の一部でした。

さらに進むと湿地も。

森に咲く桜は自由気ままに枝を延ばし空を覆っています。

 

 

 

こちらはおろちの松と呼ばれる下屋敷時代の老松ですが、二〇一九年の台風で倒れてしまったそうです。

中世の土塁跡から江戸時代の下屋敷跡まで、歴史の片鱗を残す大地に植物たちが根を拡げ、季節の移ろいとともに静かに時を刻んでいる場に身を置くと、心身の微妙なずれが修正されていきます。

 

これからの季節、園内は毎日様子が変わっていきます。変化を楽しみにまた訪れたいものです。

 

 

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