古社寺風景

星田妙見宮

身近な命が消えかかろうというとき 人はふと空を見ます

二月のある夜 東の空で金星が三日月の近くで輝いていました

二つの魂が寄り添っているように私には思えました

二月のある朝 東から昇る太陽がいつになく強い光を放っていました

その光を見た瞬間私は思いました この光に導かれ魂は昇天するのだなと

現実に肉体から魂が浮き上がったとき 人はまたふと空を見ます

東の空には明けの明星

まだ暗い空に瞬く強い光を見て 魂が無事旅立ったことを知りました

 

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私たちの命は、月や星、太陽の運行に強く影響を受けています。時間に追われ雑音の多い日常生活の中ではそれを見過ごしがちですが、古代人はそれを熟知し、私たちの命を司る天体に祈りを捧げました。

今年の一月に妙見信仰の聖地、能勢妙見山について投稿しました。初詣で能勢妙見山にお詣りに行ったことから取り上げたのですが、その後人の命が天体、宇宙と密接に結びついていることを実感する出来事があり、妙見信仰への関心が再燃しました。

関心を持つと、その先に通じる道への扉が一つずつ開いていきます。現実的には関心を持つから眼に入るということなのでしょうが、私はその後ろには人智を越えた目に見えない力が働いていると思っています。何かの力に助けられ、扉は開いていくといった感覚で、妙見信仰のもう一つの聖地、星田妙見宮にお参りする機会を得たのも、そんな助けによるものだったと思っています。

星田妙見宮があるのは大阪府交野市星田。奈良県と大阪府の境に聳える生駒山を主峰とする生駒山系の北にあり、近くには生駒山に発し、磐船神社のある磐船の地で荒々しい渓谷となって交野平野を潤す天野川が流れています。そういう自然豊かな場所に星田妙見宮は鎮座しています。

 

  

御由緒によると、星田妙見宮は平安時代嵯峨天皇の弘仁年間(八一〇~八二三)に空海が交野の地を訪れた際、獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、仏眼仏母尊ぶつげんぶつもの秘法を唱えたところ、天上から北斗七星が降り、三ヶ所に分れて地上に落ちたことから、その一カ所に妙見様をお祀りしたということです。(獅子窟寺というのは、星田妙見宮の北東およそ二キロほどの、生駒山系の普見山中にあるお寺で、行基創建と伝わる古刹です。)

現在は神社ですので、御祭神は天之御中主大神あめのみなかぬしのおおかみ高皇産霊大神たかみすびのおおかみ神皇産霊大神かみむすびのおおかみですが、仏教では北辰妙見大菩薩、道教・陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神です。妙見信仰については、能勢妙見山のところで触れましたのでそちらをご覧いただけたらと思いますが、日本にもたらされるまで様々な信仰と習合し、日本に入ってからもまた独自に習合、発展していった信仰で、お祀りしているのが神社なのかお寺なのかによっても微妙に異なってきますので、一言でこれが妙見信仰だというのはとても難しいことです。そこをあえて簡単に言うとすれば、妙見様のご利益とは、優れた眼すなわち妙見を持って宇宙的なスケールでこの世の真理を見定める力を与えてくださるということでしょう。

妙見信仰の聖地ですが、境内には稲荷社、祖霊社、延命地蔵、三宝荒神…と数え切れないほどの神仏がお祀りされています。まさに神仏習合の地といった感じで、一種独特の雰囲気が漂っています。

 

境内の長い石段上っていくとようやく拝殿にたどり着きます。お参りを済ませた私は、社殿の奥ににある巨大な磐座いわくらに目が釘付けになりました。これは空海が念じた際天から北斗七星が降り三カ所に分かれて落ちたうちの一つとされ、影向石としてお祀りされています。ちなみに他の二カ所は、星田妙見宮の西の星の森と、北西の光林寺で、その三カ所を結ぶと正三角形になり、一辺が八丁(約八七二メートル)あることから、八丁三所はっちょうみどころと呼ばれています。

これを見て、南東に二キロほど、天野川沿いの渓谷にある巨大な磐座で知られる磐船神社を思い出しました。ここも自然の力をふんだんに感じることのできる神社ですので、別の機会に取り上げたいと思っていますが、それはともかく生駒山系にはいくつもの磐座信仰の跡が残っています。

そういう聖地を空海が訪れ、妙見信仰を根付かせたということで、空海の祈りによって北斗七星が落下したのはあくまでも伝説ですが、神社によれば弘仁七年(八一六)七月現実に当地に隕石が落下したとのことですから、それが本当ならここが妙見信仰の聖地となったのは必然だったということです。それはペルセウス座流星群の母彗星スイフト・タットル彗星で、落下により妙見宮のある山の大半が吹き飛ばされ、山が馬蹄形になっているといいます。境内奥の滝壺が落下地点だとか。

 

隕石落下が事実かどうかはわかりませんが、そうしたことがなかったとしても、やはりここには妙見信仰が根付いたように思います。

地図を見ると、交野というのは長岡京の南にあります。桓武天皇は延暦三年(七八四)長岡京を造営、その三年後天皇は交野に行幸し、離宮を作りました。交野は自然に恵まれ貴族たちの格好の狩猟の場になりましたが、桓武天皇はそこに郊祀壇こうしだんを設けたと伝わります。郊祀壇というのは、中国において王城の南の郊外で北辰星を祀る儀式を行った場所のことで、桓武天皇はそれに倣って長岡京の南の交野に星祭りの祭壇を設け、実父の光仁天皇も併せ祀りました。これは光仁天皇から久しぶりに皇統が天智天皇系に戻ったことから、新王朝の創始を意識してのことだったようですが、こうした知識は母・髙野新笠を通じて深い関係を持った百済王氏くだらのこにきししら百済系渡来人たちから得たのかもしれません。つまり、空海伝説以前に交野の地には妙見信仰が芽生えていたのではないかと思いますが、果たしてそれは百済系渡来人によるものだけだったでしょうか。能勢妙見山のところでも触れたように、ここで秦氏の存在が浮かんできます。

星野妙見宮は長岡京の南にあり、近くには天野川が流れています。長岡京の造営使に任命された藤原種継の母は秦氏の娘でしたし、そもそも桂川一帯は秦氏の本拠地でした。天野川は交野平野を北上し淀川に合流しますから、水運にを通じて秦氏との関わりが見えてきます。

星野妙見宮が鎮座する交野市の西は寝屋川市です。その寝屋川には太秦や秦、川勝という地名があり、いかにも秦氏との繋がりを感じさせます。

また能勢妙見山でも触れたように、秦氏の足跡が見られるところには、機織りの存在を示すものが残されていることがあります。交野市倉治には機物神社があります。星野妙見宮では、先ほど紹介した影向石が織女石と呼ばれていまるのがそうです。織姫とくれば彦星(牽牛星とも)で、枚方市にはなりますが、近くにその名もずばり牽牛石がありますが、星田妙見宮から天野川までの距離とほぼ同じ距離の川の対岸には天田神社があります。天田とは牽牛が天の田を耕すことに由来するというので、これが彦星に相当するという説がある神社です。さらに七夕伝説で欠かせないのは天の川で、ここにはまさに天野川がが流れています。ただし元は豊かな穀物が実る状態を表す甘野川だったようで、平安時代に一帯の七夕伝説にちなんで天野川になったようですが、いずれにせよ星田妙見宮周辺には、七夕伝説に関する伝承が数多く伝わることがわかります。

七夕はその起源を知ると、古代人の星との関わり、星への思いがいかに強かったかということがわかります。北極星は北の空にあって方向を指し示す重要な指標になりますが、いつの時代も同じ星が北極星として輝いていたのではなく、今から一万二千年前にはベガが北極星でした。ベガは織姫星のことです。北極星として輝く織姫星と天の川を挟んだ反対に輝くのが彦星で、彦星は農耕を司ると考えられていました。古代中国で人の暮らしに重要な織物と農耕への祈りが転じて織姫彦星の話になった、それが七夕伝説の起源ですが、北極星はまた天帝の象徴とも考えられるようになります。北斗七星は北極星の周りを回ることから天帝の乗り物と考えました。つまり妙見信仰も七夕も、元は同じなのです。宇宙に輝く天体の運行によって私たちは生かされ守られている。その宇宙的な規模の祈りがこめられているのが七夕や妙見信仰なのです。

拝殿からは交野平野が一望できます。すがすがしい境内でした。

 

 

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