古社寺風景

大依羅神社

前回、古代において国家規模で行われた事業の一つとして依網池よさみいけを取り上げました。池が出来たことで土地が潤い農業生産が拡大、朝廷は依網屯倉を置いて農地を直轄経営しました。そこを管理していたのが依網の阿弭古あびこの依網氏でした。依網氏は依羅氏とも書く古代氏族で、摂津国住吉郡大羅郷や河内国多比郡依羅郷を本拠地とし、天平年間に宿禰姓を賜っています。

依網の阿弭古については、『日本書紀』仁徳天皇四十三年に「依網屯倉の阿弭古あびこ、異しき鳥を捕りて、天皇に献りて曰さく」、皇極天皇元年には「河内国の依網屯倉の前にして、翹岐げうき等をびて、射猟うまゆみを観しむ」とあり、鳥を捕らえることを得意としていた様子がうかがえます。

朝廷にも重用された依網氏のルーツはというと、諸説あるようです。『古事記』には開化天皇と葛城垂見かつらぎのたるみ宿禰すくねの娘の間に生まれた建豊波豆羅和気王たけとよはずらわけのみこを祖とするとあります。他方、平安時代に編纂された『新撰姓氏録』には依羅とつく氏族が複数あり、それぞれに祖を異にしています。一つは皇別氏族の依網宿禰で、日下部宿禰と同祖で彦坐命ひこいますのみことの後裔とあります。彦坐命も開化天皇の皇子ですが、母親が異なり和邇氏の血を引いています。二つ目は神別氏族の物部依羅連で、こちらは饒速日命にぎはやひのみことを祖としています。三つ目は諸蕃の依羅連で、出自を百済国の素祢志夜麻美乃君そみしやまみのきみとしています。

これだけあるとわからなくなりますが、丹比氏にも二系統あったように、時代を経て分化した可能性があります。どれか一つが正解というより、それぞれに正解に近づくヒントが含まれていると考えてみたいと思います。たとえば諸蕃の依羅連が出自を百済国の素祢志夜麻美乃君としているというのは、古代依網池の築造に百済からの渡来人技術者が尽力したことを伝えているかもしれません。

ちなみに開化天皇は第九代天皇ですが、欠史八代とされる一人です。欠史八代の八代は、第二代綏靖天皇から第九代開化天皇までのことで、記紀に事績がなく寿命が異常に長いことなどから実在を疑う説がありますが、一方で部分的に実在を唱える説もあり、確証は得られていません。開化天皇の実在性はともかく、五世紀から六世紀頃葛城氏や和邇氏が大王家の近くで活躍し、大王家に多くの后を送り込んだことは史実です。ここで話題にしている依網氏は大王家にも近くそうした豪族の血を引いていたであろうということで、話を進めます。

今回取り上げる大依羅神社は、その依羅氏が祖神とする建豊波豆羅和気王と共に住吉大神をお祀りする神社で、依網池のほとり住吉区庭井に鎮座し、周辺の広大な水田の守護神とされてきたようです。

住吉大神は底筒之男命そこつつのおのみこと中筒之男命なかつつのおのみこと上筒之男命うわつつのおのみことの三柱で、住吉大社の御祭神です。それが大依羅神社にお祀りされているのは、『日本書紀』神功皇后摂政前記に、神功皇后率いる軍勢が九州に向かう際和魂にぎみたま王身みついでしたがひて寿命みいのちを守らむ。荒魂あらみたま先鋒さきとして師船みいくさのふねを導かむ」とした住吉三柱について、依網吾彦男垂見よさみのあびこおたるみを以ていはひの神主とす」とあることに依るのでしょう。

住吉三柱と神功皇后を主祭神とする住吉大社は、古代ヤマト王権の外港の守護神として厚く信仰されてきた神社で、摂津国で最も高い社格を賜り数々の朝廷の祭祀にも関わっていますが、大依羅神社も住吉大社同様に朝廷の月次祭、新嘗祭、相嘗祭のほか、八十島祭において幣帛に預かっていました。八十島祭は天皇即位後の大嘗会の翌年に、難波に勅使を派遣し、海辺の祭場に生島神・足島神を中心に、住吉神、大依羅神、海神、垂水神、住道すむち神を祀り、国土の発展と治世の安泰を祈る一代一度の儀式で、平安時代から鎌倉時代にかけて行われていました。生島神・足島神は国土の神霊として生國魂神社にお祀りされていますが、八十島祭においてはこの二神を祀ることで大八洲おおやしまの神霊を天皇の体に取り入れることができると考えられたようです。そうした儀式に大依羅神社の神も難波の地主神として祀られたということは、朝廷からそれだけ崇敬されていたということでもあります。

 

現在の大依羅神社は、堂々としたご神木が歴史を感じさせはするものの、境内の規模や社殿の構えは住吉大社には及ばず、庭井の古社といった佇まいです。それは南北朝の頃依網氏の滅亡によって社運が傾き、明治には無社格になってしまったことが大きいですが、古代においては周囲の景観も含め全く違う風景が拡がっていました。古の時代、当地の開拓に力を尽くした依網氏を思い、手を合わせました。

ちなみに、古の遺構として二つの井戸の跡が残されています。下の写真は比較的最近まで存在したという庭井跡です。

もう一つは竜神井。こちらも現在井戸はなく、竜神をお祀りする祠があるのみです。

 

 

変わってしまったということでは、正面の参道もそうです。本来は依網池のある南が正面ですが、現在は依網池跡の石碑が草むらに覆われているのと同様、南の鳥居から境内に通じる参道はこのようになっています。これはこれで自然な感じで悪くはありませんが、依網池の存在と共にあった神社ですので、こちらが正面であると意識して鳥居をくぐり直しました。

 

 

周辺には依網氏(依羅宿禰)を御祭神とする神社がいくつかあります。松原市の田坐神社、柴籬神社などがそうで、柴籬神社は丹比神社でも触れたように反正天皇の丹比柴籬宮の伝承地でもあります。この他にも現在の御祭神には依網氏が見えなくとも、地理的にも依網氏をお祀りしていた可能性がある神社として、住吉区の阿麻美許曽あまみこそ神社もあげられます。機会を改め、それらの神社にも足を運んでみようと思っています。

 

 

余談ですが、お参りに行ったのはちょうど夏越の祓のときでした。今年前半の穢れを祓い、7月からの後半も無事に過ごせるよう茅の輪くぐりをしてきました。

 

 

 

 

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