古社寺風景

美具久留御魂神社

ちょうど一年前の十二月に石清水八幡宮を出発し、生駒山地に沿って南下する東高野街道を歩き継いでいます。帰宅後もう一仕事できるよう一日あたりせいぜい数キロ程度ですので、散歩にちょっと毛の生えた程度ですが、それでも気がつくと富田林まで来ました。

東高野街道はその名の通り高野山への参詣に使われた街道で、高野山が開かれる以前からの古代道路である南海道の一部を受け継いでいます。河内長野で西高野街道と合流した後、高野街道となって高野山に至ります。数年前には大和国と河内国を結ぶ竹内街道を途中自転車も使いながら歩きましたが、先日ようやく東高野街道と竹内街道が交差する地点を通過し、懐かしい風景との再会を果たしました。ちなみに南海道は古代の行政区画としての南海道(紀伊国、淡路国、阿波国、讃岐国、伊予国、土佐国)と都を結ぶ街道です。生駒山地に沿った東高野街道周辺には古墳や古い歴史を擁した神社も多く、たびたび寄り道の誘惑に駆られる道ですので、いずれ何らかの形で取り上げることができたらと思っていますが、今回はその一つとして、東高野街道から西に七百メートルほどのところに鎮座する美具久留御魂みぐくるみたま神社のことを。

実はこの神社、一昨年の春にお詣りに行っているのですが、一筋縄ではいかない神社で少し考える時間が必要と思っているうち投稿する機会を逸したままになっていました。それが先日東高野街道を歩いていたところ、結界の張られた木立の一画とその隣に建つ大きな石の鳥居を目にし、それらが美具久留御魂神社のものとわかったことから、参拝時の記憶が呼び戻されましたので、考えている途中のメモとして書き留めておくことにします。

こちらが東高野街道を歩いていて最初に目に入った木立の一画。中央に大きな石が置かれています。

後からわかったことですがここは神社の御旅所で、秋祭の際御神輿がこの石の上に安置されるのだそうです。離れたところからでも惹きつけられる石です。古代祭祀に用いられた磐座のようにも思えますが、実際どうなのでしょうか。

東高野街道沿いに立つ一の鳥居をくぐり西に歩いていくと、左手(南)に粟ヶ池という灌漑用の大きな溜池があります。河内長野と和歌山県との県境にある蔵王峠に発し、富田林や古市を経て大和川に注ぐ石川から水を引いて作られた粟ヶ池は、『古事記』仁徳天皇の段にある丸わにの池、『日本書紀』仁徳天皇の段にある和珥わに池に比定されるように、かなりの歴史を擁した溜池です。仁徳天皇の時代のものなのかどうかは確証がなく、推古天皇の時代という説もありますが、以前取り上げた依網よさみ狹山池同様、古代の大阪を考えるにあたり重要な遺跡です。

 

池畔には和爾宮別宮があり、和爾神という龍神がお祀りされています。粟ヶ池が記紀に記された丸爾池(和珥池)であるという前提になりますが、和爾神は丸爾池(あるいは和珥池)の神様ということで、これは同時に大国主命の荒御魂あらみたまでもあるということです。別宮は正(本)宮に準じ、正宮と同じ神様をお祀りしていることが多いようですので、さっそくこの先七百メートルほどのところに鎮座する美具久留御魂神社の様子に移ります。

 

 

美具久留御魂神社は南北に連なる羽曳野丘陵の東の斜面、眞名井ヶ原と呼ばれる山に鎮座しています。鳥居の奥に見えるのは下拝殿で、そこから急な石段を七十段ほど上がると上拝殿があります。

拝殿が二つあるというのはあまり見たことがありませんが、神社が山の斜面にあるためでしょう。

 

こちらが上拝殿。風が吹き抜ける軽やかな拝殿です。

 

さらにその奥に本殿があります。主祭神は美具久留御魂大神で、相殿あいどのには天水分神あめのみくまりのかみ国水分神くにのみくまりのかみ水波廼米神みずはのめのかみ須勢理比売神すせりひめのかみ木花咲耶比売神このはなのさくやひめのかみがお祀りされています。

神社の説明では美具久留御魂大神は大国主命の荒御魂とのことです。崇神天皇十年、この地に大蛇が出て農民を苦しめているのは大国主命の荒御魂によるものとしてお祀りするように命じられたのが始まりで、その後崇神天皇六十年に丹波国氷上郡の氷香戸辺ひかとべの子に神憑りがあったことを活目入彦命いくめいりひこのみこと(後の垂仁天皇)から聞いた崇神天皇は、活目入彦命を河内国の支子きしに遣わせて荒御魂を祀らせ、美具久留御魂大神と御名を称えられたと伝わります。

美具久留御魂は氷香戸辺の子が託宣した言葉に由来します。『日本書紀』崇神天皇六十年に次のようにあります。

玉菨鎮石たまものしづし 出雲人のいのりまつる、 真種の甘美鏡うましかがみ。押し羽振る、 甘美御神うましみかみ底宝御宝主そこたからみたからぬし山河やまがわ水泳みくく御魂みたま静挂しずかかる甘美御神、 底宝御宝主。

ここに見える「水泳る御魂」が由来のようですが、この託宣が記されているのは、出雲の神宝をめぐる出雲国内の朝廷派と反朝廷派との争いや、出雲が大和の支配下に入っていく過程を述べた箇所なので、美具久留御魂神社と直接関係はありませんが、当社の神名や神社名の由来がそこにあるとすると、当社の歴史にも出雲と大和の関係が秘められているということなのでしょうか

それはともかく、水の中を泳ぐ神というと龍神です。水を司る神で、農作物に必要な雨をもたらしてくれるとして信仰を集めてきましたが、美具久留御魂神社では主祭神だけでなく相殿にお祀りされている神々も水に関係しています。東高野街道から少し西に入ったところにある粟ヶ池は、仁徳天皇の時代に作られた灌漑用の溜池と言われていますし、少し時代は下りますが六世紀安閑天皇の時代に置かれた桜井屯倉が、粟ヶ池の北の桜井に比定されているように、喜志台地一帯では古代から稲作が行われていました。神社が鎮座する眞名井ヶ原は周辺で行う農業用水の供給源であったため、水に関係する神々がお祀りされたのではないでしょうか。眞名井ヶ原という名前はまさに神聖な水の存在をうかがわせます。

眞名井ヶ原が神聖な場所であったということは、神社本殿の裏山を上っていった先にある古墳からもうかがえます。宮神社裏山古墳群と呼ばれ、古墳時代前期の前方後円墳一基と古墳時代後期の円墳三基が見つかっています。神社より北になりますが、石川の流れを見下ろす喜志台地一帯には弥生時代既に集落があり遺跡も見つかっていますので、その首長がお祀りされている可能性はありそうで、弥生時代からの歴史の層がここには堆積しています。

水との関わりということでは、千早赤阪村にある建水分たけみくまり神社を上水分神社と呼ぶのに対し、当社は下水分神社と呼ばれますが、建水分神社といえば楠木氏の氏神で元弘の乱では兵火にかかっています。ここ美具久留御魂神社も楠木氏の氏神として崇敬され、同様に戦に巻き込まれ社殿を焼失、建武の新政時に楠木正成によって再建されています。後醍醐天皇による寄進もあり、多くの坊を有し発展しましたが、その後戦国時代にも幾度か栄枯盛衰を繰り返し今日に至っています。

境内には摂末社が多く、本殿裏手の山中には畿内と七道の一宮を八本のご神木に遷した一宮参拝路もあり、御神体である山を体感しながらお詣りしました。

 

 

帰り際、鳥居の向こうに二上山のきれいな姿が見えます。二上山を越えると大和国。ほぼ一直線上に三輪山を御神体とする大神神社が鎮座していると思うと、当社もこの場所でなければならなかったという気がしてきます。

古くからの祈りの変遷を見たようでした。

 

 

 

 

 

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