心に留まった風景

庚申まいり(四天王寺庚申堂)

大阪を東西南北に貫く種々の街道を歩いています。大阪というと近世以降の商業都市としての側面に関心が向けられることが多いようですが、私の目には商都というよりも、古代以降日本の歴史に大きく関わった要の土地として映じます。ただ残念なことに、戦禍に加え高度成長期の都市開発によって歴史的遺産がかなり消滅し、京都や奈良に比べると歴史的な土地としての顔はあまりぱっとしません。それでも古くから人々が踏みしめてきた街道には歴史の痕跡が所々残っているものです。少しずつ大阪を縦横に歩いているのは、そうした発見や出会いを積み重ね、いずれそれらを組み合わせて大阪という土地を描くことができたらという希望を抱いているためです。

その一つが俊徳街道です。俊徳街道の俊徳は、俊徳丸伝説に由来します。俊徳丸は容姿端麗で聡明な高安長者の息子で、蔭山長者の娘乙姫と恋仲になりますが、継母により失明させられ病にも罹って家を追放され四天王寺に行き着きます。その噂を聞いた乙姫は四天王寺に行き、俊徳丸と再会を果たす…というのが俊徳丸伝説で、能の『弱法師』にもなっているので、ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。俊徳街道はその伝説に基づき、四天王寺と生駒山地の麓にある高安を東西に結ぶ道で、十三峠を越える十三街道と途中から重なることから、途中から十三街道と名を変えます。俊徳丸は伝説上の人物とはいえ、街道に名を冠するというのはそれなりの人気や知名度があったということで、その点からも俊徳丸に関心がありましたし、何より古代大阪平野を東西に横切る街道は歴史の道です。そのような訳で歩き始めたのですが、その始まりに偶然歴史の断片を目にすることができました。

 

天王寺の駅を出て、南門筋を四天王寺に向かって歩いていると、緩い下り坂の四つ辻角に地蔵堂があり、お堂脇の電柱に「庚申まいり」と書かれた赤い幟が立っています。地蔵堂の北向かいは四天王寺の庚申堂です。偶然にもその日は六十日に一度、年に六回ある庚申まいりの日でした。

ちなみにこの地蔵堂は谷の清水地蔵尊と呼ばれ、お堂の敷地の一角には谷の清水という井戸もあります。この井戸水、『摂津名所図会』に「谷の清水、庚申堂の南一丁ばかりあり、清泉にして甘味なり 四天王寺名水の其一なりと云」とあるそうで、江戸時代から名水として聞こえていたようです。

 

庚申信仰は中国の道教における三尸さんしの教説が平安時代の初め頃日本に伝わり、仏教(密教)や神道、修験道、占星術など様々な信仰習俗と習合した日本独自の信仰です。三尸というのは、人間の体内にいるとされる三種類の虫のことで、庚申の日に眠ると体内から抜け出して人間の寿命を縮めるというので、庚申の日は眠らずに過ごすという風習が起こりました。平安時代には宮中行事として貴族たちの間でも盛んに行われ、『栄華物語』や『枕草子』などにもその様子が描かれています。それらによると、宮中では碁を打ったり詩歌を作ったり管弦楽を演奏したり舞を舞ったりと、宗教的行事というより遊びのようにも見えますが、だからこそ長く続いたということもあったかもしれません。

庚申の夜を徹夜で謹慎することを守庚申とか庚申待といいます。これは鎌倉時代になっても宮中はもちろん武士たちの間でも行われ、室町時代になると一般庶民の間にも広まりました。四天王寺庚申堂がいつ頃出来たのかは不明です(室町時代の末という説あり)が、日本の庚申信仰発祥の地として信仰を集めてきたことは確かです。

一夜を明かす庚申待が現在も行われているのかどうかはわかりませんが、庚申信仰の名残は東京にも数多く見られます。事実、私が長年暮らしていた練馬区の某所にも板碑の形をした庚申塔があり、下に三猿が刻まれています。庚申の申にちなみ、三猿が刻まれることもあり、練馬区某所の庚申塔はその一例ですが、庚申塔は庚申講を一定期間続けた記念に造られたもののようです。庚申塔が盛んに建てられたのは江戸時代で、その当時信者は江戸が一番多かったとのことですから、以前暮らしていた家の近くにあるのも不思議ではありません。

それはともかくこうした庚申塔に主に刻まれたのは青面金剛しょうめんこんごうという青い体に目は三眼、怒りの形相をした仏様、無病息災、病気平癒、諸願成就に御利益があります。四天王寺の庚申堂も、青面金剛童子を御本尊としてお祀りしており、六十年に一度のご開帳なので、次に拝観できるのは二〇四〇年の二月だそうです。

御本尊は正面のお堂にお祀りされています。祈祷を申し込んだ人のために、祈りが捧げられる中、お堂前で静かに手を合わせました。

お堂の向かって左のテントでは、こんにゃくが売られています。「北向きこんにゃく」といって、北を向いて黙ってこんにゃくを食べると願いが叶うと伝えられているのだとか。厄除けの意味があるようです。ちなみに京都の八坂や伏見の庚申堂ではこんにゃく封じといって、悪因縁をこんにゃくに吸い取らせ封じ込めるための祈祷が行われるところもあります。

 

四天王寺庚申堂では一月の初庚申前日に柴燈大護摩供が行われます。修験道との結びつきを伝えるもので、初庚申ということもあり賑わうそうです。

境内の西端には大阪各地から集められたという庚申塔が複数ありました。

あべのハルカスがそびえる天王寺の一角に、庚申信仰がいまも受け継がれています。今年最後の庚申は十二月二十八日、来年最初の庚申は一月二日で、四天王寺ではそれぞれ前日にもお参りすることができます。四天王寺の庚申堂に限らず、京都八坂や粟田口の庚申堂やならまちの庚申堂、東京の柴又帝釈天(青面金剛は帝釈天の使者という関係)など全国の庚申堂で庚申まいりが行われます。土地によってやり方が異なるでしょうから、年六回の庚申と日程が合うようなら、別の庚申堂も訪ねてみたいものです。

 

 

 

 

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