祭祀風景

生根神社のだいがく

今年の夏はかつてない厳しい暑さが続き水不足も深刻になってきました。この時期各地で行われる祭は疫病や日照り、干ばつなどから逃れ平穏に暮らせるようにと願うものが多く、先週すべての山鉾巡行を終えたばかりの京都の祇園祭も疫病退散祈願から始まった祭の代表ですが、このような異常な暑さが続くと、千数百年前の人たちが神にすがった心境が実感を伴い切実に感じられるようになってきます。

先月末に行われた大阪の玉出にある生根神社の夏祭りは、そこに登場する「だいがく」と呼ばれる提灯を掲げた櫓からだいがく祭(あるいはだいがく)と呼ばれますが、これも雨ごい祈願に発すると言われ、京都の祇園祭より古い歴史を有していると伝わります。かつては大阪市南部の他の神社でもだいがくの出る祭が行われていましたが、第二次大戦で焼失し、現在残っているのは西成区玉出の生根神社の一基のみとなりました。だいがくとはどのようなものなのか、百聞は一見にしかず、日の落ちかけた夕刻、生根神社を訪ねました。

生根神社のある玉出は大阪市西成区にあります。西成というのは大阪湾に南北に突き出した上町台地の西側を西生と呼んだことに由来します。かなり古い時代から表記において西生と西成が混在していましたが、江戸時代の中頃からは西成に定着しています。かつての西生(西成)は現在の西成区よりかなり広い地域を指し、現在の大阪市の半分以上が相当していました。現在の区域になったのは昭和十八年(一九四三)です。玉出はそんな西成郡の勝間村にありました。

玉出という地名は何か意味がありそうですが、これは玉出島から来ているといわれます。玉出島について『摂津名所図会』にこのように書かれています。「住吉社頭にあり。『歌枕名寄』に所しれずとあり。社伝に云ふ神宝満珠を蔵め祀る所なり。」海幸山幸神話において山幸彦(弟)が海神の娘豊玉姫から霊力のある二つの玉を授かりますが、その一つである潮満珠しおみつたまが埋められたところを玉出島と呼んだということで、埋めた場所は住吉大社境内北の大海だいかい神社という摂社付近とされているようです。おもしろいことに、地図を見ると大海神社から北に百メートルほどのところにも生根神社があります。この生根神社はかつて住吉大社の摂社だった神社で、社伝では住吉大社より古い歴史を有しているようですが、創建時期については詳しいことはわかりません。いずれにしても西成の生根神社は、住吉の生根神社の御祭神少彦名命を勧進したのが始まりと伝わります。

西成の生根神社の創建時期についても確かなことはわかりませんが、鎌倉時代の仁治年間(一二四〇~四三)に、住吉大社北の人口増加により、西成の生根神社周辺を開発し住吉大社の神領として人々を移住させたと伝わることから、生根神社の創建ももしかするとその頃かもしれません。ただ何もなかったところに勧進したということではなく、少彦名命をお祀りする以前からここには蛭子《ひるこ》命がお祀りされており、江戸末期頃まで境内には有喜恵美寿社があったようです。

蛭子命は国生み神話で伊弉冉命と伊弉諾命の間に生まれた最初の子でしたが、不具の子だったため葦舟に乗せ流されてしまったという神さまで、漂着の伝承地が各地の海沿いにあります。瀬戸内海から大阪湾にかけて多くみられますが、いつしか蛭子命はえびす神と同一視されたことで信仰が広まりました。生根神社にお祀りされていた蛭子命については、次のような話が伝わります。かつて大阪湾に大津波が押し寄せた際、兵庫県の西宮神社にお祀りされていたご神体が勝間浦に流れ着いたため、いったん当地にお祀りしますが、それを伝え聞いた西宮神社の氏子が返還を求めたためご神体を返し、改めてご分霊を当地にお祀りしたというものです。西宮神社といえば全国のえびす神社の総本社ですが、主祭神のえびす大神は蛭子命とされています。国生み神話では、伊弉冉命と伊弉諾命が矛で下界をかき回し、引き上げた矛先から潮が滴り落ち、オノゴロ島が出来ます。島に降りた伊弉冉命と伊弉諾命は夫婦となり、最初に生まれたのが蛭子命、また最初に生み出した島が淡路島です。瀬戸内海から大阪湾沿岸に蛭子伝承が多くみられるのは、そのためかもしれません。いずれにしても、生根神社も蛭子伝承地の一つで、海との関わりが深かった土地の歴史が浮かんできます。

本題のだいがくですが、神社によると、平安時代清和天皇の時代の旱魃で農作物が大きな被害を被りそうになったとき、農民たちが住吉大社摂社の大海神社の前で日本六十余州の一の宮の御神燈と鈴の竿を掲げ雨乞いの祈願をしたところ大雨が降ったことから、雨ごい祈願と雨が降ったことへの感謝をこめ、太鼓を鳴らしながら台のついた竿を担ぎ歩いたのが始まりと伝わります。京都の祇園祭より古い歴史を有すると言われるのは、旱魃に見舞われ祈願をしたのが天安二年(八五八)、京都祇園祭の最初の形である御霊会が始まったとされるのが貞観十一年(八六九)と十年近く先んじているためです。ちなみにだいがくの起源として、日本六十余州の一の宮の御神燈を掲げたということですが、六十余州は六十六ケ国と伝わります。京都の御霊会も六十六本の矛を立て神輿を神泉苑に送ったと伝わりますので、影響が感じられなくもありません。

だいがくは生根神社では平仮名が用いられていますが、台額とか台舁、台楽などと書かれることもあり、漢字にすると額を乗せた台あるいは、その台をかつぐといった姿をイメージしやすくなります。秋田の竿灯がよく似ていますが、こちらは江戸の中頃から始まったもので、大阪のだいがくに起源があると言われます。折口信夫は生根神社に近い西成郡木津村(現浪速区敷津西)の生まれで、周辺の神社に出るだいがくに関心を持ち、「だいがくの研究」という文章を残しています。それによると、台の上に経棒が立てられそこに額が乗っていたものが、次第に提灯やひげこなどが乗せられるようになったのではとのことで、明治三十年頃までは勝間村や田辺村などでひげこのだいがくを目にしたとも書いています。ひげこというのは髭籠と書き、竹籠の編み残しを髭のように細く長く垂らし、だんじりなどの上に飾るもののことです。

 

力強い太鼓の音に引き寄せられるように境内に入ると、だいがくが薄暗い夜空に映え、聳え立っていました。

 

だいがくの先端までの高さは二十メートル近くあります。目を凝らすと、てっぺんには藁を束ねた棒が突き出し先端に神楽鈴を掲げた「だし」が飾られています。その下には、ほこと呼ばれる三角錐の形をした緋色の布があり、下にはたくさんの鈴がつけられています。写真では見にくいですが、四面額といって天下泰平、五穀豊穣、家内安全、無病息災を記した額と、生根大神の額が間に掲げられています。

視線を下に移すと、「御神灯」と書かれた白い提灯を頭に、その下には六十余州を表す赤い御神灯。現在は七十九あるようです。一番上の部分は京都祇園祭の山鉾を、中央の提灯部分は秋田の竿灯を思わせます。

これを支えるのが台で、櫓を組んだ担ぎ棒の上に太鼓が乗せられ、若者たちが台を揺らしながら力いっぱい太鼓をたたき、だいがく音頭の歌声がそれを景気づけています。台が揺れるたび鈴の音も響き渡ります。

神に エエ 捧げる ヨイヨイ 生根の エエ 祭り ヨイセアメセ 勇め ナーエ 祭りが サヤーレエナコ 台神楽

ソコジャ ヨーイヨーイ ヨイヨーイ ヨイヨイヨイ ソラ アレワイナ ハア コレワイナ エー ヨ ヨイ トーナエー ヨ エーサジャ ヨイサジャ……

実際にその場にいると、言葉はよく聞き取れないのですが、民謡調の独特の節回しが耳に残り、次第に祭の雰囲気にのまれていきます。

しばらくすると御神燈を掲げた部分が回り始めました。若者たちが台座を揺らすと鈴が鳴り、御神燈が回ると鈴が鳴り…。太鼓、鈴、だいがく音頭が混ざり合い、祭を盛り上げていきます。

だいがく音頭と太鼓の音に圧倒されながら、お参りを済ませ、近くの公園に向かいました。境内のだいがくはこの場を動きませんが、公園ではこれより小さなだいがくが二基出て、園内を練り歩く様子が見られるというのです。

 

公園に着くと、女性によるだいがくが大音響のだいがく音頭に合わせ曳かれているところでした。女性によるだいがくは平成十六年からのようです。(昼間には子供だいがくも出たようです。)担ぎ手が女性とはいえ、威勢が良く迫力に満ちています。以前百舌鳥八幡宮で目にしたふとん太鼓の祭に通じる豪快さがあります。これぞ大阪という感じ。

 

夜は燈を入れて舁いた。其ゆさ/\と揺れて行く様は、村人の血を湧き立たせたものである。電信の針金が、引かれてからは、舁いて廻る範囲を狭められたが、其でも祭り毎には、必舁き出した。(折口信夫「だいがくの研究」)

かつては大阪南部の各地に数多くみられただいがくが、現在生根神社に伝わる一基のみになってしまったのは寂しい限りですが、この一基があればだいがくや玉出の歴史は受け継いでいくことができます。新しく作られた女性のだいがくや子供だいがくも、継承の一助になります。生根神社のだいがくを見たことがきっかけで、豊中市の八坂神社にも台額が伝わることを知りました。こちらはまるで形が異なり、まさに台に額が乗った形をしています。秋の祭で出るようなので足を運んでみたいと思っています。

 

 

 

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