祭祀風景

大覚寺 宵弘法

八月二十日の夜、嵯峨野の大覚寺で宵弘法が営まれました。

宵弘法というのは、弘法大師の月命日である二十一日の前夜ということですが、写真上の案内にもあるように嵯峨の送り火とも呼ばれます。京都の送り火というと五山送り火のように多くが八月十六日に行われます。東京のようにお盆が七月という地域や、沖縄のように旧暦に従い九月の地域があるものの、現在大勢としてお盆は八月で十六日の送り火をもってお盆を終えています。明治に暦が太陽太陰暦から太陽暦(グレゴリオ暦)に切り替わったことで地域によって対応が分かれ、お盆一つとっても時期が異なっています。複雑になってしまった反面、各地域が何を重視しているかがわかるので悪いことばかりではないようにも思いますが、それはともかく、本来お盆は旧暦の七月の間続くもので、その間さまざまな行事がありましたが、いまではお盆の中心的な行事である迎え火に始まり送り火に終わる数日をお盆と言うようになっています。

先日投稿した松ヶ崎の題目踊りのように、京都には土地の歴史と絡めた盆行事がいくつも伝わっています。それらに接するたびに、京都の奥深さに感じ入りさすが京都と思うこともしばしばです。二十四日に京都を中心とした関西で地蔵盆が行われるのもその一つといえますし、同じ二十四日の夜に洛北の広河原で行われる松上げも愛宕の火伏せの意味もありつつ精霊送りでもありますので、これもお盆の行事になります。大覚寺の宵弘法は弘法大師の威徳を偲ぶと同時に、五山送り火で帰りそびれたお精霊しょらいさんをお送りする施餓鬼会や送り火が行われます。あまり知られていないかもしれませんが、これも京都らしいお盆の行事です。

大覚寺は真言宗大覚寺派の総本山ですが、七堂伽藍を構える寺院とは異なる印象を抱きます。宸殿や正寝殿といった御殿のような建物がたたずみ、豪華な襖絵がまばゆい輝きを放つ門跡寺院ならではの品格のためですが大覚寺の始まりが天皇の離宮にあったという歴史が醸し出すものも大きいように思います。天皇の離宮とは、嵯峨天皇の嵯峨院で、嵯峨天皇のお人柄や願い、この地に託された思いなどが伝統として受け継がれ、僧侶など人も含め境内全体からそれがにじみ出ているのではないでしょうか。

嵯峨天皇は桓武天皇の第五皇子で、第一皇子の平成天皇の後に第五十二代天皇として即位されました。歴代天皇の中でも屈指の優れた学者であり文化人だった嵯峨天皇は嵯峨野に心を寄せ、即位の翌年大沢池の北側に山荘を営まれます。(嵯峨野のあたりは秦氏の下にあり、山荘の土地は秦氏から献上されたものという説もあるようです。)嵯峨天皇はこの山荘を気に入られ、北野の遊猟の際に立ち寄られたり、文人を招いて詩宴を催されたりと、ことあるごとに嵯峨院を訪れていますが、山荘とはいえここは早い段階から祈りの場でもありました。

そこには嵯峨天皇と空海の出会いが関係しています。

嵯峨天皇は大同四年(八〇九)に即位されますが、唐から帰国後しばらく太宰府に留まっていた空海も同じ年に入京を許されます。嵯峨天皇は唐の文化に関心を持たれており、平安京の整備に唐の最先端技術を取り入れたいという思いもあったのでしょう。漢詩文に長け能書家でもあったので、共通の話題も多かったかもしれません。嵯峨天皇と空海は公私にわたる交流を持つようになります。空海は入京後に最澄の尽力により高雄山寺(神護寺)に入りますが、そこは嵯峨院から山一つ隔てた程度の距離でしたので、国家安泰を祈願する大法会などを通じ、嵯峨天皇と空海の親交が一層深まった可能性もあります嵯峨天皇は弘仁二年(八一一)院内に持仏堂の五大明王をお祀りする五覚院の建立を空海に命じます。政争、悪疫など憂いのつきない立場にあった嵯峨天皇は、心から民の幸せを願われ、悪疫流行の際には空海の勧めで般若心経を写経され、空海の祈りによって疫病退散を祈願されています。離宮、山荘というと、のどかな休息の場のようなイメージを持ちます。実際嵯峨野の自然に身を休めることもあったでしょうが、ここは天下泰平を願う祈りの場でもあったのです。

嵯峨院が正式に仏教寺院になったのは、嵯峨天皇が崩御されてから三十年後の貞観十八年(八七六)です。嵯峨天皇の皇女で淳和天皇の皇后であった正子内親王が離宮を寺に改め、正子内親王の子が出家し開山したことによりますが、祈りの精神は嵯峨天皇の時代に遡ります。

このように大覚寺は前身の嵯峨院時代から空海と深い縁がありましたので、自然と空海の威徳を偲ぶ宵弘法の法会が生まれたのでしょう。先ほど触れたように、現在宵弘法は精霊送り、先祖供養の意味合いもあります。どちらが先だったのかはわかりませんが、二つを合わせた法会が八月も下旬にさしかかる夜、静かに営まれるというのは、なんとも心に沁み入るものがありました。

 

夕方五時半に広沢門が開かれます。まだ空は明るく、池には周りの風景が映し出されています。大沢池は中国の洞庭湖を模したとされ、庭湖とも呼ばれていました。

池に張り出した舞台には、夜七時から行われる送り火法要のための準備が整っていました。池ぎりぎりのところに三段の施餓鬼棚が置かれ、上段の向かって左にはお地蔵様の石像が、右には三界萬霊位と書かれた位牌、中段にはお備えが見えます。三界は仏教において生死を繰り返し輪廻する三つの世界、つまり無色界、色界、欲界のこと。ここでこれから行われる法要は、三つの世界のすべての精霊を供養するものであるとわかります。施餓鬼棚の後ろには竹が五本立ち、赤、紫、白、緑、黄の幟が下がっています。池の奥には、すでに奉納された灯籠が浮かんでいます。

六時から池に面した五大堂で法要が営まれますが、その前にささやかですがご献灯をしました。

カップ蝋燭に願いを書いて待っていると、お坊さんがそれを手に御影堂前の舞楽台に案内してくださいます。すでに多くの火が入っている中、空いたところに私の分を置いてくださるとお経が始まりました。個々人のささやかな願いにここまでしていただけると思っていませんでしたので、これだけで心が温まりました。

五大堂は大覚寺の本堂にあたる建物で、内陣には不動明王を中心に五大明王がお祀りされています。(上の写真はすべての法要が終わった後のもの)元々別の場所にあり、現在地に移されたのは大正時代のようですが、大沢池のすぐ西にあって東に張り出した広縁から池を望むことができます。次々に堂内に入っていく人に続き、私も堂内に入ると、すでに法要を待つ人で埋め尽くされていました。遠慮がちに後ろにスペースを見つけ座っていると、しばらくして法要が始まり、除災招福を祈念する読経の声が堂内に響きました。若い修行僧の方たちが中心になって祈りを捧げているようです。参列者の中にはお経を唱和される人が多く、弘法大師信仰の厚さに感じ入ります。

そもそも大覚寺は、お寺の中心にお祀りしているのが仏様ではなく般若心経という少し変わったお寺です。弘仁九年(八一八)疫病退散を願い嵯峨天皇が般若心経を写経され、空海が五覚院で祈りを捧げたということがあり、写経された般若心経の功徳に対する信仰が大覚寺の歴史の中に絶えず流れているのです。その歴史は伽藍の配置にも見て取ることができます。つまり境内の中心に嵯峨天皇が写経された般若心経を納める心経殿、その手前に嵯峨天皇、空海、初代門跡の恒寂入道親王、中興の祖後宇多法皇の尊像をお祀りする御影堂、西に門跡寺院としての歴史を伝える宸殿、東に本堂にあたる五大堂が配され、心経殿を頂点に正三角形をなしています。大覚寺の伽藍については後日改めて取り上げたいと思っていますが、とにかくこの日の法要で多くの参列者が僧侶の読経に合わせ般若心経を唱えているのを目の当たりにして、ここが般若心経の信仰の始まりの地であることがしみじみと感じられました。

小一時間の法要が終わると、いよいよ大沢池で宵弘法のクライマックスの法要が営まれます。五大堂の広縁に急ぐ人もいましたが、私は池畔に向かいました。

池に浮かぶ灯籠や施餓鬼棚の飾りの灯りが際だっています。ときおり吹く夜風が心地よく、池畔に座って待っていると、しばらくして僧侶が舞台に入場され、読経が始まりました。

読経の開始とほぼ同時に、池に設置された護摩壇に火が入ります。炎が大きくなるにつれ、読経の声も大きく響き、嵯峨野の空に立ち上っていくようです。

読経の間も、僧侶の声に合わせあちらこちらから唱和の声が聞こえてきます。五山送り火では大文字や妙法で点火と同時に僧侶たちがお経をあげています。山に登れる人は限られていますので、その様子を目にする機会は少なく、そういうことが行われていること自体あまり知られていないかもしれません。その点、大覚寺の宵弘法ではすぐ目の前で送り火の炎があがり、僧侶たちが法要を営みます。池の周りにいればどこからでもその様子を目にすることができ、自身もその法要に加わっているという気持ちになり、心の距離が縮まるようです。今年は自宅での送り火がうまくいかず、もやもやとした気持ちを引きずっていたので、この日をもってようやく心の中で祖霊をお送りすることができたのはありがたいことでした。

八月も末になると、夜がどことなく寂しく感じられ、封じ込めていた不安が息を吹き返してきますが、この日わずかな時間の中で感じた大覚寺の包み込むような温かさが、そうした気持ちを押し戻してくれたようで、安堵に包まれながら境内を後にしました。

 

 

 

 

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