心に留まった風景

月心寺(走井居と走井庭園)

これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関

近江国と山城国の境に設けられた逢坂の関は、東海道と中山道が通る交通の要衝で、特に平安京に都が移ってから逢坂の関の重要性は増しました。

現在の逢坂峠は国道一号線に沿った交通量の多い殺風景な場所ですが、東から都を目指して旅をした人、逆に都を後にして東に向かって旅立っていった人、その双方の気持ちや目線を追体験しようと思ったとき、逢坂峠を行き交う人たちの気持ちや、この峠自体のもつ役割、性質を見事に言い表した冒頭の蝉丸の歌には大いに助けられます。この辺りのことは、「旅して歩いた東海道」の最終章「京都三条大橋(一)」で触れていますので、関心がありましたらご覧いただけたと思いますが、今日は旧東海道を歩いているときから心の片隅にあった月心寺のことを。

逢坂峠の西およそ六百メートル、滋賀県大津市大谷町の東海道(国道一号線)を歩いていると、旧道時代の様子を彷彿とさせる門と塀が見えてきます。旧東海道を歩いているときは門が閉まっていたこともあり、気になりながらも素通りしていましたが、ここが月心寺です。

月心寺のある大谷は、峠と関所のある逢坂と、東海道と京街道(大坂の高麗橋とを結ぶもう一つの東海道で、伏見、淀、枚方、守口の四宿を加え、東海道五十七次と呼ばれることがあります)との追分のちょうど中間に位置し、かつて街道沿いには土産物屋や茶屋が建ち並んでいました。地名の通りここは谷になっていて、東西に走る東海道のすぐ近くまで山が迫っているという地形。山からは絶えず清水が湧き出ています。走井と呼ばれたその清水は多くの旅人の喉を潤してきましたが、明治に入り鉄道が開通すると、ここを歩いて通る旅人も激減し茶屋も廃れていきました。

そのうちの一つ、廃墟同然になっていたものを大正三年(一九一四)に橋本関雪が買い取り別荘としたのが月心寺の一帯です。

走井居と名付けられたその別荘を関雪は好んだようで、昭和二十年(一九四五)に関雪が亡くなると、その九年後天龍寺慈済院から村上獨譚老師を迎えて月心寺とし、関雪と橋本家の菩提寺となりました。

ちなみにこちらの石垣は膳所城から移築したもので、階段部分は琵琶湖に面した船着き場跡です。

月心寺は臨済宗系の単独寺院で、お寺としての歴史は昭和二十九年(一九五四)開基と古いものではありませんが、二代目の住職村瀬明道尼の作るごま豆腐が絶品というので、十八年前にNHKの朝の連続テレビ小説「ほんまもん」で主人公に精進料理を教える尼僧のモデルとして登場されましたので、ご記憶の方もいらっしゃるでしょうか。境内には関雪夫妻や橋本家のお墓をはじめ、村瀬明道尼の精進料理を天下一と評価した関係からか、湯木家のお墓もあり、遺族の方たちがお詣りに訪れているようですが、村瀬明道尼亡き後無住の寺となり、走井居の西にひっそりと佇んでいます。

 

 

いま月心寺というと関雪の死後に創建された月心寺だけでなく、別荘だった走井居も含めた一帯を指すようですので、ここでもタイトルは月心寺としましたが、今回取り上げるのは別荘の、とりわけ庭のほうです。

南に迫る山の斜面を利用して造られた庭は、相阿弥作と伝わります。そうだとすると、ここの庭の原型は室町時代に遡ることになります。その真偽はともかく、これほどの傾斜地に造られた庭は見たことがなく、決して広くはないのに深山幽谷を思わせる風景に一目で魅了されてしまいました。

 

お座敷から縁側に出て、まず眼に飛び込んでくるのが冒頭の風景です。手前には一切の濁りなく透明な水で満たされた池。この水は背後の山がもたらし、別荘の名前にもなった走井の水です。走井庭園は池を中心に、山の斜面を利用して造られています。

池から視線を上に向けると、元々山の石かと思うほど自然に配された石垣の上に、茅葺きの小さなお堂が顔をのぞかせています。このお堂は小野小町終焉の地と伝わる百歳堂で、堂内には小野小町百歳像がお祀りされています。

  

急勾配の石段を上がり百歳堂の中に入ってみると、開け放された窓の外は木々の緑で覆われ、実に気持ちのよい空間です。

 

傾斜の急な狭隘な土地に造られた庭なので、上から見下ろすと庭の景色がぎゅっと凝縮されて視界に収まる感じがします。

 

百歳堂から右に視線を移すと、石樋を伝って落ちる一筋の水。その水源を辿ると、水がわき出るところに水神さまがお祀りされています。

百歳堂のさらに上には土中から見つかった石仏をお祀りする薬師堂、蝉丸が庵を結んだ跡地に建てられたという三聖祀、芭蕉の句碑などもあり、縁側からでは眼に入らない風景が、散策の途中次々と目に飛び込んできます。

橋本関雪が当地を買い取ったとき、関雪は三十一歳でした。その前後に文展で何度も受賞するなど、日本画家として着実に認められつつある勢いのある時代に、荒廃した茶屋を購入したその心の内は何なのだろうという思いがありました。

いま簡単にご紹介したように、この庭には元々小野小町や蝉丸、芭蕉といった歴史的人物たちの伝承や足跡が残されていましたし、庭は相阿弥作と伝わっていました。それらは単なる伝承かもしれませんが、これだけのものが集積しているのは、この土地の歴史が深いからです。そういう土地ですから、敷地を分割したり遺物を散逸させたりしてはいけないという使命感に駆られたというのが購入の動機と言われていますが、今回念願かなって別荘時代の状態を維持した庭園を目にしたとき、その思いを強く後押しするもう一つの動機を見つけたような気がしています。

それは月心寺の庭園がまぎれもなく関雪好みの世界だということです。

関雪は庭が好きで、庭作りと絵を描くことは同じだと言っています。購入当時相当庭は荒れていたでしょうが、これだけ石をふんだんに用いた庭ですから骨格は残っていたはずで、類を見ない急勾配の狭隘な土地に築かれた庭の完成形を関雪は思い描くことができたのではないでしょうか。そうしたとき、この庭にはいくつもの絵画的な景色があることを見逃さなかった…。私はそのように想像します。

ちなみに関雪の庭というと京都東山の麓にある白沙村荘を思います。浄土寺の領土だった土地を手に入れたのは、ここ走井居と同じ大正三年で、当時東京で暮らしていた関雪は白沙村荘の庭の造営のために京都に戻り、自ら庭を手がけ、主屋や画室が完成した大正五年からそこで暮らすようになりました。白沙村荘の庭作りの際に走井庭園の石の使い方などを参考にしたということが、もしかしたらあったかもしれません。

 

走井庭園は期間限定で公開されていて、公開中は走井の水を用いた手打ち蕎麦をいただくことができます。ご興味のある方は、こちらをご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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