以前の上高地を知っている人にとっては、現在のように多くの人であふれかえる様子を見て、ここはもう「神河内」ではないと感じる人もいるようです。確かに河童橋の辺りは土産物屋やホテルが建ち並び賑やかですが、そこからほんの少し外れると人はぐっと少なくなり静寂に包まれます。静まりかえった林に佇み空から降り注ぐ野鳥の声を聞いていると、私にとってはそれだけですでに「神河内」という感じがします。
河童橋から上流に百メートルも行かないところに清水橋という小さな橋があります。下を流れるのは清水川。南東の六百山に降った雨水が湧き出し、小川となって梓川に流れ込む小川ですが、清水橋の辺りなど河童橋からすぐ近くなのに人もまばらです。清水川の水は上高地の飲用水として使われています。出がけにホテルで汲んで水筒に入れてきましたが、その水のまろやかなこと。こうして橋から川をのぞき込むと、視覚的にも水の旨みや丸さが感じられます。川底から水が湧き出ているいるところがあります。静かな水面を揺らしながら、まさに山から川が生まれてくる瞬間です。近くに人はほとんどいません。この辺りで目に入るのは川や空、植物、鳥たち。現在の上高地の状況についてあまり悲観する必要はないようにも思います。
清水川に沿って上流に少し歩くと、小梨平に出ます。名前の由来となった小梨の花には少し早かったようで、代わりに見ることができたのは、ニリンソウ、キジムシロ、ムシカリ。小梨平からさらに梓川上流に行くと明神に出ますが、明神へは翌日行くことにして来た道を戻り、上高地に入るときバスで通過した大正池を目指しました。
河童橋から梓川に沿って八百メートルほど下流方向へ。すると下のように川は大きく屈曲します。北に曲がった辺りの対岸に、上高地を世界に広めたウェストンの功績を称えるウェストン碑があります。
毎年六月の第一日曜日に、ここでウェストン祭が行われます。今年も山岳関係者、登山愛好家たちが二百五十人も集まったとか。
そのウェストン碑から二百メートルほど下流、梓川が中洲で二股に分かれるところに、田代橋と穂高橋が架かっています。そこから田代池まで一キロ半ほど。
川に沿って続いていた道が次第に川から離れて林間の道になり、湿地帯が次々と現れるようになります。
湿地の中の木道をしばらく歩いていくと、急に視界が開けます。田代湿原です。
小さな池塘に雪を頂いた穂高連山が映し出されています。以前は全体的に湿地が拡がっていたようですが、現在はこのように水たまりのような小さな池塘があるだけになりました。
ここから遊歩道をさらに奥へ進むと、目の前に現れたのは清らかな田代池でした。
田代池はこのあと行く大正池と共に、大正時代に起きた焼岳の噴火によって梓川の水が堰き止められ出来た池で、池の周りの湿地は霞沢岳の伏流水が生み出したものです。
水が透明なので、池底の色が模様のように浮かび上がってきます。鉄分を含み赤茶色をしていますが、そこに周囲の木々や空が映し出されると、実際の池は浅いのに、ずっと奥深くに別の世界があるような気がしてきます。池の中に点在する小さな浮き島の陰から、それこそ河童がひょっこり現れても不思議ではないくらい。
この静かな池は、そこに流れ込む土砂が堆積し続け、少しずつ小さくなっているそうです。写真に夢中になって池畔ぎりぎりまで入り込むのも、地面が硬くなり悪影響です。この美しい風景を守るためには、少し離れたところから、そっと愛で、見守る、というのが良いようです。
穂高連峰を背に拡がる田代湿原の風景を目に焼き付け、その南にある大正池へ。
白樺やカラマツの木々の隙間から穂高の山並がのぞいています。
しばらく歩いていると、風景が変わります。霞沢岳から大量の砂礫が押し出された「中千丈沢の押出し」。自然の威力に圧倒されます。奥に見えるのは焼岳です。
また水の風景が戻ってきたと思っていたら
目の前に現れたのが大正池のこの風景でした。「ほんとうに私たちは、神様の描いた絵のうちでも選り抜きの傑作を展示した画廊のなかに入り込んでいるようなものだった。」とはウェストンが槍を目指し徳本峠を越えようと歩いているときの言葉ですが、私にとってはまさにこの大正池の風景がそうでした。
夕方で太陽の力が弱まってきたとはいえ、大正池の水はどこまでも蒼く、鏡面のように雪の残る穂高の山並や木立の緑を映し出しています。実に神秘的。先ほどの田代池もそうですが、焼岳の噴火によって一夜にして誕生したこの風景に、自然の力、神の力を感じざるを得ません。
以前は、水没した原生林が枯れ木となって池の中に数多く林立していたそうです。藍色の池に枯れ木が群生する光景は独特の雰囲気を創り出し、大正池といえば立ち枯れの木というほど知られていましたが、次第に枯れ木は水没し、今は数えるほどしかありません。上の写真に数本見えるのがそれです。以前の大正池を知っている人にとっては、いまの大正池の景観は衝撃に近いようです。
思わず手を合わせたくなるような神々しさを湛えたこの場所に佇み、刻々と変わる風景をずっと見ていたい気分。
帰り際、一羽のイソシギが水辺で遊んでいました。
宿に戻ると、雲がだいぶ厚くなっていました。翌日は雨の予報。自然の恵みが上高地の風景をどのように変えるのか、それもまた楽しみです。