寄り道東海道

水口屋

興津の旧街道を歩いていると、斜め前方に黄土色の長い塀が見えてきます。明らかに普通の民家とは異なる雰囲気。入口には、水口屋と看板が下がっています。

水口屋といえば、オリバー・スタットラーの『日本の宿』という小説の舞台になった宿です。スタットラーは戦後日本に進駐していたアメリカの軍人で、興津の水口屋に滞在しながら聞き知った東海道沿いの歴史を小説仕立たてにして発表したところ、アメリカ人の間で評判になり、そのおかげで水口屋には外国からのお客さんが多かったそうです。

それはさておき、塀の中をのぞくと、正面には旅館にしてはそっけないコンクリートの塊のような建物、右には別棟の平屋があり、入り口に「水口屋ギャラリー」と控えめな表示が見えます。中の様子がうかがえず、一瞬入るのがためらわれましたが、せっかくなので引き戸を開け声をかけると、奥から六十ぐらいの小柄な女性が出てきて、お上がりくださいと招じ入れられました。

  

「ここは江戸時代水口屋という脇本陣でしたが、明治になって碧水楼水口屋という旅館に転じました。昭和六十年(一九八五)に旅館を廃業しまして、いまは清水にある物流会社の迎賓館になってるんです。この建物は、旅館時代厨房だったところです。明治に火災に遭って、それ以前のものが焼けてしまったので、脇本陣時代のものはないんですけど、岩倉さんや西園寺さんなどに懇意にしていただき、こうして手紙や書などが残っています」

そう言いながら、展示品の由来を一つ一つ説明してくれます。

「西園寺さんは興津が大のお気に入りで、水口屋にたびたびお泊まりになりながら、別荘の計画を練ったそうです。興津にいる西園寺さんを訪ねて大勢の政治家たちが興津にやってきたので、西園寺詣なんて言われましてね。興津には井上馨さんの別荘もあったので、伊藤博文や山県有朋といった方たちなんかも、興津に来ると水口屋に泊まっていかれたんですよ」

二・二六事件のときには、興津も緊迫し、大勢の警官が配され、物々しい雰囲気だったといいます。東京から百六十キロ以上離れている興津まで、昭和維新の激震が伝わっていたのです。

脇本陣水口屋時代のことが気になり、年表に目をやっていると、こんな話もしてくれました。

「水口屋の初代は、武田信玄が甲斐から駿河に侵攻してきたとき、重臣として信玄に伴って興津に来たようです。名前を望月といい、甲斐に塩や魚を送る役目を担ったと言われます。

武田家が滅びると、家臣の中には家康に登用された人も多いようですけど、望月は武士の身分を捨てて興津に残ったんです。ここは温暖で海もありますから、気に入ったんでしょうね。大きな屋敷だったのでときどき旅人に宿を求められることがあって、それが脇本陣に繋がっていったようです」

そういえば興津宿に入る手前に、身延道の起点と書かれた表示のある場所を通りました。

身延道といってもいくつかあり、富士川西岸の岩淵からも身延道が出ていましたが、これらは山梨県南巨摩郡の万沢で一つになり、甲府へと向かいます。日蓮宗総本山の身延山久遠寺へ通じる参詣道なのでそう呼ばれましたが、戦国時代には武田氏が駿河に侵攻する際の軍用路でもあり、甲斐に塩や海産物を運ぶ生活路でもあったのです。

水口屋の歴史は、身延道と東海道が交わる興津の歴史に重なっています。

 

*水口屋ギャラリーは改装のため六月三十日まで閉館しています。

*水口屋の先に西園寺公望別邸を復元した興津坐魚荘記念館があります。(月曜休み、入場無料)また興津にあった西園寺別邸は愛知県犬山市の明治村に移築されています。

 

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