寄り道東海道

蔦の細道

坂道にかゝれば、いよいよ道細く、山深うして幽寂たり。ちがや、すすき、萩、荻、篠竹しのたけ生い茂りて、藤蔓ふじかずらつたかずら足にまとい、薔薇しょうび荊棘けいきょく袂を閉じて歩しがたく、二人の手引きの者、鎌をもてくさむら薙刈なぎかりて次第に登るに、路さかしく、杖をちからに行くに、少したいらなる所なり。ー中略ー それよりまた登るに、ようやく頂嶺ちょうれいとおぼしき所に出でたり。山郭さんかく(山間の村)依々として(遠くはっきりしないさま)、伐木ばつぼくの音さえかすかにだも聞こえず、実に陶潜とうせん(陶淵明)が桃花源とうかげんに至るのおもかげあり。

これは江戸時代後期に書かれた『東海道名所図会』(秋里籬島著)中、蔦の細道についての描写の抜粋。蔦の細道とは宇津ノ谷峠を越える最古の道です。

奈良時代には古代伝馬の道として、平安時代以降は古代の官道として使われました。この道の名を広く知らしめたのは文学者たち。中でも『伊勢物語』の影響は絶大でした。内容はおおよそ次のようです。

高貴な身分の主人公は、東国下りの途中暗く細い山道で心細い思いをしていたところ、思いがけなく京の知人の修行僧に出会い、次の歌とともに手紙を書いて僧侶に託します。

駿河なる宇津の山辺のうつつにも 夢にも人にあわぬなりける

後世の文人たちはこの故事に思いを致し、哀愁と偶然性を求めて、多くの文人墨客が宇津ノ谷峠を訪れました。

その後も『平家物語』『十六夜日記』『東関紀行』『吾妻鏡』などに取り上げられ、往来も頻繁でしたが、豊臣秀吉による小田原攻めの際、北に新しい道(旧東海道の前身)が開かれたことから、蔦の細道は次第に使われなくなっていきました。

蔦の細道は近年整備され、ハイキングにちょうどよい道になっています。静岡側の登山口は、国道一号線沿いにある道の駅の奥に。岡部側の登山口は坂下地蔵堂の先に整備された公園にあります。私は旧東海道の復路、岡部側から蔦の細道を歩きましたが、整備されているとはいえ、『東海道名所図会』の蔦細道についての描写を思わせるところが各所に残り、つかの間古の旅人の思いに身を寄せることができました。

 

  

岡部側からの上りは、箱根の石畳を思い出すような険しいところもあります。旧東海道の宇津ノ谷峠は割と簡単に通過してしまったので、このくらいの道のほうが峠を越えていると実感できます。

 

  

やがて峠に到着。標高は約二百十メートル。かつては峠から富士山が見えたそうです。歌碑には先ほど記した在原業平の歌が刻まれています。

 

  

峠を越えると雰囲気が一変。小川を渡り、杉の木立を下っていきます。

 

  

木立が途切れ、ようやく国道が見えてきました。ここが静岡側の登山口です。

東海道はこの先にも峠越えがあります。連載の「日坂」でも触れることになりますが、峠というのは文学者の言葉によって長くその存在が語り継がれていくことが多いようです。

峠を歩くと言葉の重みを実感します。

ちなみに『伊勢物語』の影響は絵画作品にも見られます。尾形光琳の弟子深江芦舟による「蔦の細道図屏風や、今村紫紅の宇津の山路などがそれで、これらを見ると人の心に訴えかける力の点で、写真はとてもかなわないと思うのです。

 

 

 

 

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