寄り道東海道

将軍塚

桓武天皇が長岡京から平安京に都を遷すことを宣言したのは、長岡京遷都からわずか九年後の延暦十二年(七九三)でした。

その際、桓武天皇は和気清麻呂の案内で東山に登って眼下の町を見下ろし、「葛野の地は山や川が麗しく四方の国の人が集まるのに交通や水運の便が良いところだ」(『日本書記』)としてこの地を気に入り、都を置くことを決心されたと言われています。

その後桓武天皇は都の安泰を祈念して、征夷大将軍を務めた坂上田村麻呂を模した高さ八尺(約二、五メートル)の人形に甲冑を着せて弓矢を持たせ、都を見下ろす位置に埋めました。

それが将軍塚です。

 

鎌倉時代の『源平盛衰記』には、世の中に大きな変動があると、この塚が鳴動すると書かれており、古くから都人たちに知られ畏怖されてきた塚でした。

  

現在ここは粟田口にある青蓮院の飛地境内になっており、国宝の青不動をお祀りする青龍殿とその前に新設された広大な木造の大舞台があり、現在の京都の町を一望する格好の場所になっています。

将軍塚の周りの庭園には、桜やもみじが植えられ、春には桜色に、秋には深紅に染まった天空の楽園と化します。

こうして将軍塚から京都の町を見下ろしていると、桓武天皇が平安遷都を決めたときから現代に至るまで、やはり京都というところは山紫水明処だと思わずにはいられません。

 

 

 

 

昨年の八月からおよそ一年二ヶ月にわたり連載してきた東海道の旅と関連記事の投稿は、ここ将軍塚で最後といたします。長い間おつきあいくださり、どうもありがとうございました。

東海道の取材・執筆は、東西を往復してきた私生活を抜きにはなしえなかった作業で、取材を始めた二〇一〇年からこうして投稿を終えるまでの八年の間、途中途中で様々な問題が障害物のように目の前に立ちふさがることが多々ありましたが、それがかえって起爆剤となり投稿完了まで導いてくれたように思っています。内容は皆様の関心には必ずしも一致するものではなかっただろうと懸念しております。ですが、これが私の東海道です。宇宙的なスケールのネット上にあって、私の東海道は一粒の砂に過ぎません。それでもそこに存在を残せたことは大きな喜びで、直接的間接的に支えてくださった皆様に心から感謝申し上げます。

 

今後は次のテーマを探りつつ、ゆるやかなペースで投稿していく予定です。気が向かれました折にアクセスしていただけましたら光栄です。

 

 

 

関連記事

  1. 寄り道東海道

    草津宿本陣

    旧東海道で本陣が残っているのは二川と草津の二カ所だけです。草津の本陣は…

  2. 寄り道東海道

    近江国衙跡

    瀬田の唐橋の東一キロほどの大江というところに、古代律令制の時代、中央か…

  3. 寄り道東海道

    垂水頓宮跡

    古代、新しい天皇が即位するたびに、天皇の名代として伊勢神宮に奉祀した未…

  4. 寄り道東海道

    帯笑園

    旧東海道原宿の中心部からほんの十数メートル南に入ったところに、原の素封…

  5. 寄り道東海道

    笠覆寺(笠寺観音)

    鳴海宿を後にし、次の宮(熱田)を目指し北西方向に旧東海道を歩いていると…

  6. 寄り道東海道

    吉田城址

    旧東海道吉田宿の曲尺手町の北に吉田城がありました。建物は櫓が復元された…

最近の記事

連載記事

  1. 登録されている記事はございません。

アーカイブ

  1. 古社寺風景

    松尾寺
  2. 心に留まった風景

    又兵衛桜
  3. 寄り道東海道

    八丁味噌
  4. 古社寺風景

    伊香具神社
  5. 東海道の祭

    桑名 石取祭
PAGE TOP